衝撃のアルベルトの悲劇



セルバンテスの奴が来なくても良いというのに見舞いに来た。
私は今、少々風邪をこじらせて寝込んでしまっているのだ。
咳と鼻水が止まらず、熱が38度5分もある。
なんたる不覚。
BF団十傑集最強を誇るこの衝撃のアルベルト様が、風邪のウイルスごときに屈服するとは。
「自然界のものに勝負を挑んでもしょうがないよ」
涼しい顔をして奴はそう言うが、そういう問題ではない。『寝込む』ということが負けなのだ。
「そもそも、君は『予防』というものをしてたかね?」
「『予防』?」
「そ。『うがい』と『手洗い』」
「う……それは……」
していない。
しかし今までしなかったことによって感染したことなど一度もない。インフルエンザだとて罹ったことがないのだぞ。
「君、ウイルスは気合いで何とかなるって思ってるだろう」
『気合い』では駄目だとでも言うのか? よしんば感染しても『気合い』さえあれば寝込むことなど……。
「黙ってるってことは図星か……。だからメディカルルームでも、あんなに点滴拒んだんだ。私はてっきり君は注射が怖いのかと──」
「──このワシがそんな物を怖がるわけがなかろう!! ゴホッ、ゴホゴホ……」
くそう、風邪め。ちょっと大声を出しただけでこれだ。セルバンテスが背中をさすってくれたから治まりはしたが、そんな真似を奴に許してしまうとは、返す返すも忌々しい。腹立たしいことこの上ないわ。
うむ。少し落ち着こう。
私は枕元に置いてある葉巻に手を伸ばした。
すると突然セルバンテスが、その私の手を強く掴んできた。
「何をする!?」
「君こそ何する気だよ!? 気でも違ったの? そんなに咳き込んでおいてタバコなんて……」
「煙草ではない。葉巻だ」
「同じだろ! 煙吸うんだから。今はダメ。私だって君が患ってると思ってるからタバコ我慢してるのに……。これは没収します」
「何ぃ! 貴様、ワシが熱があるから逆らえんと思って……だいたい貴様は帰ればいくらでも吸えるだろうが! もう帰れっ!! うっ……ゲホッゴホゴホ……」
くそっ。また咳の奴が……。
「ほらぁ。またそんなに咳き込んで……大人しく寝てなきゃダメだろう。……それから、私は帰らないよ。帰ったら君、絶対葉巻吸うだろう。咳が治まるまで監視します」
このワシを『監視』だと! 一体何様のつもりだ!! まったく癪に障る。こいつはいちいち小言が多いのだ。だから「来なくて良い」と言ったというのに。
「今ので熱、上がっちゃったんじゃない? ちょっと測ってみようか」
そう言って奴は私の口に体温計を突っ込んできた。
こんな物咥えさせられたらますます葉巻が吸いたくなるではないか。
ピピッ
暫くして体温計が小さな音を立てた。
体温計が口から引っこ抜かれる。
「ああ……」
私は無意識にそれを追いかけていた。
赤子か、私は……。これではまるっきりおしゃぶり代わりだ。
しかし、幸いなことに、奴は私のその行為に気がつかなかったようだ。
ただ体温計を見つめて
「あらら……」と言う。
気になって体温計を覗き見ると、38度9分。
「やっぱりちょっと上がってるね」
『大人しくしないからだよ』とでも言いたげに呟いているが、そもそも私を怒鳴らせているのは誰なのか。一人だったら私とて安静にしておるわ。
「熱冷まシート貼っておこうか。ホントは解熱剤が効くんだろうけど、君、薬はことごとく拒否していたからねぇ。特に解熱剤を」
「当たり前だ。あんな尻から入れるような物……貴様の前で受け取れるか」
「失礼しちゃうなぁ。いくら私でも病人相手にいかがわしいことはしないよー」
どうだか……信用できたものではない。
何しろ奴は、メディカルルームから帰ってきてすぐ、ベッドサイドのゴミ箱に山盛りに捨ててあるティッシュを見て
「こんなにティッシュが……もう……アルベルトったら、いつでも私を呼んでくれればいいのに……」と目を輝かせてわけのわからんことを言ったのだから。
「ちょっと、アルベルトー。救急箱ってどこに置いてるのー?」
席を立って冷却シートを探しに行ったセルバンテスが問う。
「そんな物はない」
私はきっぱりと答えた。病に罹ったことがないのに、救急箱など必要なものか。仮に患ったとしても『気合い』でなんとかなるのだ。薬など必要ない。戦闘で傷を負うことは多々あるが、そんなものはメディカルルームの治療で事足りる。
「仕方ないなー。メディカルルームに貰いに行ってくるよ」
戻ってきた奴がそう言った。
おお。出て行くというのか。それは好都合だ。
だが奴は、そう思った私の気持ちを見透かしてか
「私はちょっと席を外すけど、くれぐれもタバコは吸わないように。それより眠ってしまいたまえ。薬品を拒否するんなら、眠るのが一番の薬なんだからね」と釘を刺す。
そう思うのなら、もう戻ってこないで貰いたい。貴様が居ては眠れるものも眠れない。落ち着かないではないか。
奴は言うだけ言ったら、勝手知ったる何とやらで、私の部屋のドアを解錠し外へ出て行った。
私は暫く寝たふりをしそれを見送る。
そして、そろそろ良い頃合いだろうと見計らってベッドに身を起こした。
この部屋にある葉巻は何も奴が没収したものだけではない。
しかし寝室(ここ)で吸うと、奴が戻ってきたとき匂いでばれてしまう。それはリビングでも同じだろう。
どこで吸ったものか……。
暫し考えてふと思いついた。
そうだ。あそこなら芳香剤があるのだから匂いも残らないだろう。
「吸うな」と言われれば吸いたくなるのが人情というものだ。奴はそれを全く判っていない。
私は葉巻を一本持って、その場所へ向かった。




まったく、アルベルトときたら、私の心配する気持ちなど欠片も解ってくれない。
「倒れた」と聞いたときどれだけ背筋の凍る思いがしたか……。
なのに自分の身体を労ろうなんて気が更々ないのだから困ったものだ。
『気合い』で病気が治るなら医者はいらないじゃないか。まさか彼は『癌』にかかっても『気合い』で治すつもりなんだろうか。
そんな無茶がとおるわけがない。そんなだから私の心配が絶えないんだ。
私だって小言なんか言いたくない。でも言わせているのは彼じゃないか。
にも関わらず「見舞いに来なくて良い」なんて……どこまで冷たいんだよ。
そう考えながらメディカルルームへ向かっていると、突然、アルベルトの私室(へや)の方からけたたましい非常ベルの音が聞こえてきた。
まさか!?
私は慌てて踵(きびす)を返し彼の私室へ走った。
辿り着いて、もうずっと以前から知っているパスワードと偽造カードで鍵を開けドアを開くと、中は土砂降りの雨だった。
スプリンクラーがフル稼働しているのだ。
思った通りだった。
目を離すのではなかった。
私は後悔した。だがもう、後の祭りだ。
大雨の中私は、彼が間違いなく居るであろうと思われる場所へ急いだ。
それだけで全身濡れ鼠だ。私まで風邪をひきそうだ。たった今来た私でさえこうなのだ。ベルが鳴ってからずっと中にいるアルベルトはどんなことになっているのかと思うと総毛立つ。
「アルベルト! 中にいるんだろう? すぐ開けて!! 怒らないから」
私は目的の場所のドアを激しく叩いた。
いかな私といえどもここの鍵は開けられない。何しろここは、人にとって最もプライベートな空間、『トイレ』なのだから。
しばらく待つとギイという音がしてトイレのドアが開いた。
中からびしょ濡れになったアルベルトが、濡れて火の消えた葉巻を手に、私の腕の中へ倒れ込んできた。
やっぱりタバコを吸っていたのか。
しかもこんな場所で。
「うう……一口も……吸えなかった……」
彼の台詞につい私も
「君はヤンキーの高校生か!!」と怒鳴っていた。
彼は反論しなかった。出来なかったのかもしれない。なぜなら私の腕の中の彼の身体は、火のように熱くなっていたからだ。
私はハッと我に返り、携帯で危機管理室に電話をかけた。
「今の警報は誤作動だから。すぐスプリンクラー止めて!」
スプリンクラーはすぐに止まった。
だが、アルベルトの私室は、どこもかしこも床上浸水状態だ。病人を休ませる場所などどこにもなかった。
仕方がないので私は再び携帯を出し、今度はメディカルルームに電話をかけた。
「私だ。眩惑のセルバンテスだ。今、衝撃のアルベルトの私室にいる。至急ストレッチャーを一台持ってきてくれ」
それを聞いていたのかアルベルトが、私の腕の中から彼にもあらぬか細い声で訊ねてきた。
「どこへ……連れて行く気だ?」
「決まってるだろ。メディカルルームだよ。君は入院だ!」
「やめろ……あそこは駄目だ……」
「どうして!?」
私は今猛烈に怒っている。こんなに人に心配をかけて。許せるものか! そのため少々語気が荒くなっていた。それを叱られていると悟った彼は言いにくそうに口ごもりながら言った。
「……あそこは……全館……禁煙……ではない……か……」
はぁ!?
この期に及んでまだタバコ!?
どんだけチェーンスモーカーなんだ。
もうトサカに来た。絶対許してやるものか!
だが私は努めて穏やかに言う。営業用の笑顔も忘れずに。
「わかったよ。メディカルルームには連れて行かないよ。代わりに私の私室に入院すると良い。タバコも許可しよう。また同じことをされても困るからね。」
「ほ……本当か?」
「ただし」
「ただし?」
「これだけ熱があるんだ。今度ばかりは解熱剤を挿れさせてもらうよ。もちろん看護師じゃない。この私が直々に挿れてあげよう」
私のその言葉に、赤かったアルベルトの顔色が真っ青になっていく。それだけで熱が引くとでも言うように。
そこで私室にストレッチャーが到着した。
私は救護隊に命ずる。
「彼はどうしても私の私室に入院したいのだそうだ。そこに運んでくれたまえ」
「え? いや……その……ちが……」
「何が違うのかなぁ? アルベルト君。タバコ吸い放題だよ」
私の台詞にアルベルトは黙り込んでしまった。
そうか、そうか。やはりそんなにタバコが良いのかね。私の気持ちなどよりも。
私の怒りは頂点に達していた。
私は営業用スマイルを崩さぬまま彼の耳元で囁いた。
「覚悟したまえ、アルベルト君。私の考え得る限りのいやらしい方法で解熱剤を挿入してあげるよ」
「何ぃ!? いーやーだー!! ゴホッ、ゴホゴホゴホッ!!」
彼の叫びも虚しく、ストレッチャーは私の私室へ向かった。
ふふふふふ……。私を本気で怒らせた罰だよ、アルベルト。
今日はなんだか楽しくなりそうだよ。ふふふ……。





衝撃のアルベルトの運命やいかに





<<もどる

inserted by FC2 system