Chocolate Disco



「ふふふふふ……うわーっははははは〜!!」
二月十三日夜半、BF団十傑集が一人、眩惑のセルバンテスの世界に数ある邸宅のひとつの厨房から、世にも不気味な悪党然とした哄笑が響き渡っていた。
「出来た……ついに出来たぞ」
彼は、ある深いブラウンの物体を前に拳を握りしめ吠える。
「勝つ! 今年こそはこれで勝ってみせる!!」
そして再び高らかに笑った。
「見ていろよ、ホルスタインめ。はーっはははははは!!」



バーン!!
「Happy Valentine!」
けたたましい音を上げてセルバンテスは扉を開けた。
それも、彼同様、BF団十傑集が一人、衝撃のアルベルトの館の寝室のドアだ。
その衝撃に、部屋の住人二人が、がばっとベッドから身を起こした。
そして片方が声を荒げて問うた。
「なんだ!? 貴様、こんな夜中に!!」
次いでもう片方も咎める。
「まったくですわ。いったい何事ですの?」
二人は言わずと知れた、衝撃のアルベルトと一丈青扈三娘夫妻だ。
「なんだ。お前も一緒だったのか」
セルバンテスはチッと舌打ちをした。
「『お前も』とはご挨拶ですわね。ここはワタクシの家でもありますのよ」
バチバチッとセルバンテスと扈三娘の間で、見えない火花が散った。
それにアルベルトは眉間のしわを揉みながら溜息をついた。
セルバンテスと扈三娘は、二人が出会ったときからの犬猿の仲だ。そんな二人に挟まれるというのは、寝起きでなくとも避けたいと思うのがアルベルトの正直な気持ちだろう。
しかも今は夜中だ。時計を見ると十二時を少し回ったところだった。
これ以上もめられたくないらしいアルベルトが、
「まあ、いい。さっさと用件を述べろ」と、セルバンテスを促した。
「用件なんて決まってるじゃないか。さっき言ったろう」
判りきったことをなぜ訊ねるのかとでも言いたげな台詞に、
「ああ。バレンタイン……」と、扈三娘が呟いた。女だからの巡りの良さなのかもしれない。
「バレンタイン? それは明日だろう」
眠いからなのか、アルベルトはにべもない。
その言葉にセルバンテスは憤慨する。
「ついさっき『今日』になりました!」
「だから何だというのだ。こんな夜中に訪ねてこずとも──」
「──何言ってるんだ! そこのホルスタインに負けたくないから、今来たんじゃないか!!」
皆まで言わせず反論するセルバンテスに、扈三娘がクスリと笑った。
「なんだ、お前。この眩惑のセルバンテスを馬鹿にしているのかね!」
セルバンテスはますます憤慨した。
「セルバンテス様、チョコは早い者勝ちではありませんのよ。気持ちの問題ですわ」
「そんなこと判っているさ。だけど、そこの朴念仁が去年、早い者勝ちみたいなことを言ったんだよ!!」
セルバンテスは怒り心頭に発し、子供のように地団駄を踏んだ。
これでは、もうこの時点で、勝敗は決しているようなものだ。
夫妻は半ば呆れたのか、二人して小さく肩をすくめ目を見合わせた。
「……判った……では、その用件の物を出せ」
「貰ってくれるの!?」
ぱぁ〜っとセルバンテスの顔が向日葵が咲いたように輝いた。
アルベルトは彼のこの表情に弱いのだ。そのことは妻もよくよく理解していた。だから一切口を挟まなかった。
セルバンテスは、ずっと右手に引っかけていた紙袋から、お洒落にラッピングされた箱を取り出し、アルベルトに渡した。
それを見て扈三娘が呟いた。
「あら、ゴディバ……」
それを無視してセルバンテスは
「ささ、早く開けて開けて」と、アルベルトを促した。
進められるままアルベルトは封を切る。
すると中からは、やや歪ではあるがハートの形を模したチョコレートケーキが現れた。表面には『Ich liebe dich』とホワイトチョコクリームで綴られている。
「……貴様が作ったのか……」
意外で仕方がないというようにアルベルトが呟く。
「今年こそは勝ちに来たからねっ! ゴディバのショコラティエにテンパリングから叩き込んで貰ったんだ。そこのホルスタインのご家庭の味なんか比じゃないよ。こっちはプロだからね。まあ、形はちょっと悪くなってしまったけれど、そこは手作りのご愛敬ってことで。どう? 及第点は取れてる?」
セルバンテスは鼻息も荒く捲し立てる。
彼のあまりの勢いに、夫妻はまたも顔を見合わせた。
「合格かどうかは味を確かめてみんとな」
「そういうことなら、はい。これ」と言って、セルバンテスは紙袋の中からフォークを一本取り出した。
「ここで召し上がりますの? 少し待ってくだされば、あちらで切り分けますわよ」と言う扈三娘の申し出に、セルバンテスは彼女の顔の前に掌をかざして辞退する。
「お前の助けは借りない」
なんと器の小さいことか。
まあ、しかし、ことがアルベルト絡みなのだ。しかも敵が扈三娘とあってはいたしかたないと思っていただきたい。
そう感じたのはアルベルトも同じだったのか、彼はその場でチョコケーキにフォークを立てた。
パリと小さな音を立ててコーティングのチョコが砕け、フォークが中のスポンジに沈んでいく。
その際にじゅわりと中からブラウンの密が溢れた。どうやら中にもチョコが入っているらしかった。
見るからに美味そうだった。
フォークで一口大に割ったケーキを、アルベルトは迷うことなく口に運んだ。
はむ。もぐもぐもぐもぐ……。
「うむ。なかなか美──」
「──よっしゃぁぁぁぁぁぁ〜!!」
アルベルトの感想もどこへやら激しく食い気味に、セルバンテスは全身でガッツポーズをし、雄叫びを上げた。
夫妻はあっけにとられるばかりである。
「食べたね。今、食べたよねっ!!」
「ああ。食ったが、それがどうしたというのだ?」
「やったぁ〜! 私の勝ちだ! ばんざ〜い!!」
夫妻には、彼がここまで喜ぶ意味が判らないらしかった。
疑問符だらけの顔をする二人に、セルバンテスは丁寧に説明する。
「去年、君は、『本命は一つしか受け取らない』というような意味のことを言っただろう。だからこんなに早く来たわけなのだよ。むろん、それは私の本命だ。他の誰にもあげたりしないし、誰からも貰うつもりはないよ。で、そのチョコレートを君は今食べた。これは『受け取った』ってことだよね。つまりは、私の勝ちだということだ。恐れ入ったか、ホルスタイン。これが盟友の絆だ」
寝込みを襲っておいてとんでもない言い種だ。
けれども『負けた』と言い放たれた当の扈三娘は、まったくの涼しい顔をしていた。
「うふふ……。そういうことですの。では、これはセルバンテス様に差し上げますわ」
そう言って、どこから出したのか綺麗にラッピングを施された包みをセルバンテスに手渡した。
「誰からも貰わないと──」
「──まあまあ。堅いことおっしゃらず。開けてみてくださいな」
言われるがまま封を切ると、中からはハート型の大きなチョコレートが出てきた。だがその表面にはでかでかと
『義理』
と記されていたのだった。
それだけでセルバンテスはすべてを悟った。
へなへなと力なく地べたにへたり込んでしまった。
「チョコレートは何もバレンタインデー当日に渡さなくてもよろしいんですのよ。ワタクシたちは夫婦ですもの。いつでも渡せますわ」
扈三娘の方が一枚も二枚も上手だったのだ。
つまり、扈三娘には、セルバンテスのこの暴挙も先刻お見通しだったということになる。
「畜生……まさか、フライングに負けるとは……」
セルバンテスは床を拳で殴りながら悔しがっている。
それに哀れを感じたのか、アルベルトは、彼にもあらぬ優しさで肩に手を置き声をかけた。
「まあ、口には入れたのだから、ドローゲームで良いではないか」
「同情はよしてくれ!」
セルバンテスは、かけられた手をふりほどき吠える。
目にいっぱい涙を浮かべて。
「……貴様……泣いて──」
「──泣くかっ! こんなことくらいでっ!!」
再び吠えて立ち上がり、
「くそ〜! 来年こそ必ず私が勝つからな! そのときになって吠え面かくなよ、ホルスタイン!!」と、ビシッと彼女を指さした。
そうして、
「わははははは! わーっははははは!!」と、悪党めいた哄笑とともに去っていったのだった。三度肩をすくめる夫婦を残して。
果たして眩惑のセルバンテスが勝つ日は来るのだろうか?
セルバンテスの明日はどっちだ?


おしまい



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