「あ、そうだ、室井さん。退屈だったらビデオ観てください。俺、今日、ビデオ借りて来たんスよ」
ソファでくつろいで麦茶をすすっていると、思い出したように青島は浴室の方から叫んだ。
「ビデオ?」
風呂にも聞こえるように、少し大きめの声で聞き返すと
「はい、テレビの横にツタヤの袋あるでしょ、青いやつ」と答える。
「ああ、ある」
「勝手に出していいですから。三つあるし、どれでも好きなの観ててください」
別に退屈だとは感じてはいなかった。
それに青島の風呂はたいして長い方ではないから、ビデオを観るほどの時間もないだろうと思う。
だが、青島がどんなものを観るのかには興味があった。
私はツタヤの袋を取って、中身を探った。
青島の言ったとおり、中からはビデオが三本出てきた。
一つは「ロック」。観たことはないがタイトルには聞き覚えがある。確かショーン・コネリー主演のアクション映画だったか。青島らしいなと思った。
もう一つは「ER」。これは全くわからない。「イーアール」と読んで良いのだろうか? タイトルのロゴから察するにSFか? まあ、後で青島に訊いてみればわかることだ。
そして残りの一つは……。
な、なんだ、これはっっ!?
「発掘、アナアナ大辞典」!?
アダルトビデオじゃないか!?
一体、青島の奴、どういうつもりでこれを……。
あいつの意図はおおかた察しは付く。どうせまたろくでもないことを企んでいるのだろう。風呂から上がったら今日こそは、ひとこと言ってやらねばと思った。
しかし、それにしては妙な気もする。もし、そういうつもりがあったなら、こんな風に私にビデオを選ばせたりするだろうか?
もしかしてアダルトを借りたことを忘れているのかもしれない。普通、自分が借りたビデオが何だったかは憶えているものだろうが、相手は青島だ。なにしろ三歩あるくとそれまでのことはすっかり忘れてしまうような奴だ。有り得ないことじゃない。
そうだとしたら、これは見なかったことにしてやるのが優しさだろう。
そう思っていたところへ、青島が戻ってきた。
タオルで髪を拭いながら私の横に腰を下ろす。
「あれ? まだ観てなかったんスか?」
そう言って青島は、私が手に持ったままだった例のビデオを、よく確かめもしないで取り上げると、さっさとデッキにセットしてしまった。
「あ、青島……あのな……」
私がビデオのことを教えてやろうと口を開いた瞬間、スピーカーから女性の霰もない喘ぎ声が流れてきた。
そういえば、テープは巻き戻しがされていなかった。前に借りた奴、一番イイところで止めたまま返したな。
画面は高校生ぐらいの少女が、自分の父親だと言っても
おかしくないほどの中年男の体の上に、馬乗りになって淫らに腰を振っている姿が映し出されていた。
青島はテレビの前で中腰のまま固まっている。
この反応からすると、私のさっきの読みは正しかったようだ。
しかし……困った。
今は何を言っても空々しい気がする。
だが、適当なところで止めてやらないと、ここのまま沈黙が続くというのも非常に気まずい。
そうだ、別のテープ。別のテープを観よう。そうすれば……。
「青島、食い入るように観てるとこ申し訳ないんだが、こっちのビデオと入れ替えても良いか?」
私は出来るだけさりげなさを装い、あと二本あるうちの一つを手に取って立ち上がった。
が、デッキに手を伸ばした瞬間、グイッと強く腕を掴まれた。
え? 青島? やっぱりお前、そういうつもりで……。
「室井さん!」
「は、離せ、青島っっ!」
私は腕を振り解こうとしたが、青島は更に力を込めて私を引き寄せ肩を掴んだ。
別にそういうことをするのが嫌だというわけではない。だが、今は困る。私は今日はここには風呂に入りに来たのだ。青島が先に使っていたので待っていたのだ。そうしたら、青島がビデオを観ろと言った。だからそれに従っただけだ。
確かに二十四時間風呂は青島のもので私は使わせてもらっているだけだ。遠慮する必要はあるだろうとは思う。しかし、だからといっておとなしく待っているのに、望も果たせないのでは……。
だが、青島は私の逡巡とはまったく違う意味で腕を掴んだのだった。
「違いますからねっ!」
「?」
初め何を言っているのかわからなかった。
「俺、こんなの観ないですから」
ああ、そのことか。
しかし、そんなに必死になって否定しなくても……。
アダルトビデオくらいなんだ。裏ビデオってわけじゃないんだ。借りたことがバレたからってそこまで狼狽えなくても良いじゃないか。
「っきしょー! なんでこんなもんが……。室井さん、ホントにこれ、俺が借りたんじゃないですから」
青島は私の両肩を掴んで真剣な表情で訴えた。
「そんなにムキになるな。良いじゃないか、アダルトぐらい。恥ずかしがるほどのことじゃないだろ」
青島は私の言葉に目を見開いて驚いた。
「……怒ってないの?」
やっと青島は手を緩めてくれ、不思議でたまらないという顔でしげしげと私を見た。
「なんで、怒るんだ?」
こいつ、私がそんなに心が狭いと思っているのだろうか?
「だって……こういうのあんまり好きじゃないでしょ、室井さん」
やっぱり。
確かに積極的に好きだとは言えない。だからといって、青島の趣味を云々する気は毛頭ない。いくら気が合うからと言って好き嫌いまで干渉する権利がないことくらい心得ている。
「君が何を借りてきたって私にとやかく言う権利はないだろ」
私がそういうと青島は
「ほら、やっぱり怒ってる」と拗ねたように言い、ドサッと音を立ててソファに身を沈めた。
それから聞こえよがしに大きな溜息をつくと、物言いたげに上目遣いで私を見た。
「あーあ、室井さんはお堅いもんなぁ……」
半ば自棄(やけ)のように言う。
なんだ、その言いぐさは。お前が勝手に誤解してるだけじゃないか。
たぶん私はそのとき、ムッとした顔をしていたのだろう。それが青島には責められているように写ったのか、
「あのね、本当にこのビデオは心当たりないんですからね」と強く言いきった。
まだ言うか。
私にとってはどっちだって良いことだというのに。
そんなことよりも、いつまでビデオを回しっぱなしにしておくつもりだ。さっきからずっと、スピーカーが「あんあん」言ってるじゃないか。ま、実際「あんあん」言っているのはブラウン管の中の少女なのだが。
扇情的で耳障りな声に眉を寄せたことを、青島は更に曲解したようだ。
「これは間違い。ビデオ屋が間違えたんですよ、きっと」と言い訳めいたことを言う。そして、たたみかけるように、
「だって、俺が借りたかったの『ロック』と『ER』と『ターミネーター』だもん」と告げる。
確かに袋の中には「ロック」と「ER」は入っていた。では「ターミネーター」と間違えたというのか?
馬鹿馬鹿しいにもほどがある。どこの世界にAVとハリウッド映画を間違える人間がいるというのだ。同じ言い訳をするならもう少しマシな嘘をつけ。
「あ、ほら、やっぱり『ターミネーター』入ってない」
袋の中を探って青島が言う。
「……しつこいな」
あんまりクドクドと言い訳をするので、つい口を突いて出てしまった言葉に青島は、唇を尖らせて言い返した。
「悪かったっスね、しつこくて。でも、俺、誤解されたくないですもん」
「誤解?」
「室井さん、俺がこういうのものすげー好きとか思ってるでしょ」
それは……思っているかもしれない。思っているからこそ、言い訳をしつこいと感じてしまうのだろう。だが、それは間違いじゃないだろう? 普段の青島の行動から考えれば、そう思われても仕方がないと思うのだが。
私が黙っていたので青島は更に言葉を続けた。
「そりゃね、俺も男っスから、嫌いじゃないですよ。いや、どっちかって言やあ、好きですよ」
ほら見ろ。やっぱりそうなんじゃないか。
その気持ちがどうやら私は顔に出てしまったらしい。青島は大きく嘆息した。
「……でもね、わざわざ金出してまでは観ません」
なるほど。そういう意味でなら確かに私は誤解していたかもしれない。
なら「間違えた」というのもまんざら嘘ではないということか。誰が間違えたのかはこの際置くとしても。
「……ホントに間違いだったんだな」
「はいっ芥」
誤解がとけたのがそんなに嬉しいのか、青島はあるはずのない尻尾を盛大に振って私の手を取った。
「しかし、結果的には金を払ったことになるな」
私は取られた手を振り払って言った。
「あ……」と青島は、私の手を名残惜しそうに目で追いながら、
「そうですよ。四百円損しちゃいましたよ」と文句をたれる。
「観れば元が取れるだろ」
「……え?」
青島は珍しいものでも見たかのように私を見つめた。
「だから、せっかく四百円払ったのに見ないで返すのはもったいないだろうと言ってるんだ」
「……」
口を半開きにしてじっと見つめられる。
「……室井さん……」
「なんだ?」
「……セコい……」
「なに!?」
「だって、室井さん、国家公務員で俺より高給取りなのに……」
「たかが四百円と侮るな。細かいところを始末しないからいつも月末に泣くハメになるんだろうが」
「はあ、そうっスね……あはははは……」
青島は申し訳なさげに項垂れて頭を掻いた。
私だって説教などしたくはない。しかし、青島は些か金に対して丼勘定なところがある。こういう機会に注意を促してやるのが年長者の務めというものだろう。言うことを聞くかどうかは甚だ怪しいところではあるが。
案の定青島は次の瞬間には、叱られたことなどケロリと忘れたかのように顔を上げ、
「んじゃ、今から観ましょっか?」と悪戯っ子のように歯を見せて笑った。
トリ頭……。
良く言えば前向きだが、悪く言えば単に記憶力が欠落しているとも言える。こんな奴が警察官で本当に良いものだろうかという思いが一瞬頭をよぎった。
私が呆れて反論しないのを良いことに、青島はリモコンを取って、既にエンディングのクレジットを流しているビデオを止め、巻き戻した。
「……ホントに観るのか?」
「だって、室井さんが観ろって言ったんスよ」
「だからって何も今観なくても……」
「今じゃなきゃ、観る時間ないですもん、俺」
嘘つけ。レシートに一週間レンタルって書いてあったぞ。それに、これを観る暇がないなら「ターミネーター」だって観られるものか。
だが、まあ、こんなものどうせ一時間もないだろう。そのくらいの時間なら、風呂でつぶせないこともない。幸い青島の家の風呂は二十四時間風呂で浴槽も広い。温泉にでも来たつもりでくつろがせてもらうとしよう。なにしろ私はその為にここへ訪ねてきたのだから。
「なら、私は風呂に入ってくるから……」
そう言って立ち上がった私を、青島は腕を掴んで引き止めた。
「何言ってんスか? 一緒に観ましょうよ」
私は思わず眉間に皺を寄せてしまった。
それを見て青島は、
「あ、やっぱり、こういうの観るのはふしだらとか思ってます?」と訊ねた。
「そんなことはない。観たければ観ればいいだろ。せっかく私が気を利かせてやってるんだ。風呂、ゆっくり入ってくるから……」
「……それは、その間に抜いとけってこと?」
「はっきり言うな!」
なんて慎みのない奴だ。確かにそう言うことも考えてはいた。そうしてくれれば私としてもこの後起こりうる展開で、いつものように激しい真似をされなくてもすむから楽で良いとは思った。
って、何を言わせるんだ!? 別に私はそういうことをして欲しいと望んでるわけじゃないぞ。
「……室井さん……」
逡巡する私を青島は訝しげに上目遣いで見た。
「何、赤くなってんの?」
ニヤニヤ笑って青島は言う。
「なんか、期待してます?」
「するかっ!?」
私は腕を振り払って怒鳴った。
「風呂、入ってくる!」
「待ってよ。一人でこんなの観たってしょうがないでしょう」
「? アダルトなんて一人で観るもんだろ」
「……室井さんがいるのに? ……あのねえ、俺、今更、こんなもん観たって勃ちませんよ。やりたい盛りの中学生じゃあるまいし。そりゃ、目の保養くらいにはなりますよ。この娘けっこう可愛いし。だけど、俺には室井さんっていう最愛の人がいるのに、そんで、その人とはたまーにしか会えないけど、でも、会ったらそりゃもう痒いところに手が届きまくるくらい愛し合えるのに、アダルトで抜いてどうすんスか? しかも、今、手が届くところにあんたがいるのに」
また恥ずかしいことを臆面もなくベラベラと。
赤面するよりも呆れてしまった。
しかし、青島はそんな私を無視して、更に爆弾発言をする。
「俺、抜くときは室井さんで抜いてますから」
そんなことを本人の前で言うなー!!
私が返す言葉もなく青島を睨み付けていると、奴はニヤリと悪党めいた笑みを見せて、
「とにかく、座ってください」と立ち上がって私の肩を押し、無理矢理ソファに座り直させた。
「じゃ、再生しますから」
「しかし、風呂は……」
「そんなん、あとあと。どうせ四十分くらいしかないですから。ね」
「……」
こうなってしまっては、何を言っても無駄だ。
さっきの青島の発言は気になるところだが、「この程度では勃たない」と言う意見を信じることにしよう。
巻き戻しの完了したビデオを青島が再生する。
ドラマは何気ない日常から始まった。
アダルトビデオにありがちなように、このドラマの主人公の少女も、台詞が妙に痛々しい。
「演技、下手だな」
素直な感想を述べると青島は、
「それは言いっこなしですよ。そういうの観せたいわけじゃないんだから」と苦笑する。
まあ、それはそうだな。こんなビデオ、筋だとて在って無きが如しだ。
十分ほど退屈で且つ素人臭いドラマが続いて、人物関係を説明してくれた。
途中、青島が、
「つまんないですね。早送りします?」と訊いてきたが、
「元を取るために観てるんだから」とやめさせた。
十分弱のシーンからわかったことは、どうやらこのビデオはいわゆるオフィスラブものらしいということだった。
先程再生したときに観た映像の中年男は、設定にかなり無理があるが、この少女の部下だった。つまり、この高校生にしか見えない少女は、実は大手企業の生え抜きのエリートで、親子ほども年の離れた男は年甲斐もなく、前々から彼女に思慕の念を寄せていたということなのだ。
「あんなに華奢で可憐な彼女が、女であるという理由だけで上司からも部下からも厳しい扱いを受けている。それなのに愚痴一つこぼさないで、背筋を伸ばし小さい体を精一杯大きく見せてがんばってる。ああ……俺がぎゅっと抱きしめて守ってあげたい」
これはその中年男のモノローグだ。
なんだか何処かで聞いたことのある設定だなと思った。
さていよいよベッドシーン(実際は夜のオフィスでことに及んでいるわけだから、正確には「ベッドシーン」とは言わないのだろうが)が始まったとき、横に座っていた青島が少しだけ私の方へにじり寄ってきた。
不穏な空気を感じた私は、青島の顔を振り仰いだ。だが青島は依然、画面を凝視していたので取り越し苦労だったかと、再びブラウン管に目を戻した。
テレビの中では中年男が、玉砕覚悟で胸の内を告白し、件の少女をデスクに押し倒しているところだった。
力任せに衣服を剥がれ、ブラウスのボタンがはじけ飛ぶ。
む、これは強姦じゃないのか?
「いや……」
少女は、か細く抵抗の声をあげた。
だが男は止まらない。
「好きなんだ。ずっとこうしたかった」
男は少女の、顔の割には豊満な乳房に顔を埋め、スーツのスカートをたくし上げる。
目に鮮やかな白いショーツに手を掛けて、無理矢理ストッキングごと引き下ろした。そのせいでストッキングが破け、より一層、艶めかしさを醸し出していた。
ゴクリと生唾を飲む音が聞こえた。
ずっと胸に顔を埋めている男には少女の肢体は見えてはいない。なら、この音は……。
そう思った瞬間、青島が私に覆い被さってきた。
そのままソファに押し倒されてしまった。
「おいっ、青島!」
私は、首筋に顔を擦り寄せてくる青島を、頭を掴んで押しのけようとした。だが、青島はまるでビデオの中の中年男のように、力任せに迫ってきて、いかんともしがたい。
あっという間に私は、ベストのボタンもワイシャツのボタンもはずされてしまっていた。
くそ、なんでこいつは、こういうことだけ妙に手際が良いんだ。
「ちょ……あおしま……」
私の抵抗の声を聞いているのかいないのか、青島はアンダーシャツまでたくし上げる。
「青島! 話が違うぞ」
「……違うって、何が?」
私の胸を弄りながら、青島はうろんげに訊ねる。
「しないって言ったろうが」
「……そんな約束してませんよ」
言って青島は、私の耳を甘く噛んだ。
どうあってもやるつもりなのだな。
青島の甘言を信じた私が馬鹿だった。今までのこいつの行動から考えれば、こうなることは予想がついたはずだ。なのにうっかり信じてしまった。
私までこいつの学習能力のなさが感染ってしまったのかと思うと情けなくなる。
私は自分の愚かさに溜息をついた。それを青島は自分に都合の良いように解釈したらしい。喜々として首筋に鎖骨に胸にと唇を押しつける。
こうなってしまっては、もう覚悟を決めるしかない。
何が何でもやめさせようと思えば出来ないこともない。だが、それをすればこいつは拗ねて後々とても面倒なことになる。最悪、風呂を使わせてもらえないということにもなりかねない。
仕方がない。入浴料だと思って諦めるか。
それにしてもバカに高い入浴料だ。
「……青島」
観念した私が、胸に所有印を刻み続ける青島の頬を両手で抱き、顔を上げさせ、
「させてやっから、そうがっつくな」と言うと、青島はキョトンとした顔で私を見つめた。
その表情があまりに滑稽だったので、私はつい吹き出してしまった。
そのことに憤慨した青島が、分厚い唇を尖らせてむくれる。
「もおー、何がおかしいんスかあ?」
駄々っ子のような言いぐさが余計に笑いのツボを刺激する。
声を上げで笑いこける私に腹を立てたのか、
「こーんなイイ感じのときにそういう態度に出る人には……こうだっ!!」と青島は、私の腋の下をくすぐった。
「わっ! 青島っっ、やめろ」
こそばゆい感覚に身を捩ったが、意趣返しのつもりなのか青島は、執拗に私の弱い部分を攻めてくる。
「こらっ、ダメだって」
「ふふふふふ……どうだ、まいったか?」
悪ガキのように笑いながらくすぐり続ける。
「あはははははは……」
くすぐったさに堪らず涙を流して笑ってしまった。
「ギブアップ?」
この野郎、いい気になりやがって。
「誰がまいるか!?」
私は手を伸ばして青島の脇腹をくすぐり返してやった。
知ってるぞ、青島。お前はここが弱かったっけな。
「あっ!」
びくりと青島の躯が跳ねる。
「ちょ……室井さんっっ」
私の攻撃に青島は面白いように反応を返す。
ふふん、思い知ったか。私を屈服させようなど十年早いんだ。
「もうっ! やめてくださいよっっ」
青島が悲鳴を上げる。
「……それは、降参だと思って良いのか?」
私が勝ち誇って訊ねると青島は、泣き笑いのような情けない表情をして黙り込んだ。
そして青島が何か言おうと口を開いた瞬間、
「ああ〜ん 」とひときわ大きな嬌声が聞こえた。
二人同時に声のした方を振り返る。
声の出所はテレビのスピーカーだった。
「ぶっ……」
「アハハハハハハハハ……」
私たちは堰を切ったように笑い合った。
一頻り笑って荒い息をついている私の目尻に、青島が啄むような口づけを落とす。
「……ビデオ、回しっぱなしだったっスね」
「ああ、忘れてた」
「どうします? 止めましょっか?」
「……いい。ほっとけ。そのうち止まるだろ」
「そうっスね。リモコンどっか行っちゃったし」
くすっと小さく笑って青島は、瞼や頬や鼻の頭にキスの雨を降らせた。
不思議に暖かい気持ちが胸に沸き上がって、私もまた、青島の唇に口づけていた。
やわらかいそれを舌でなぞると、薄く口を開いて私の舌を口中へ招き入れてくれた。私は肩に掴まっていた手を首にまわして、より深く青島を貪る。青島の舌がそれに応え、私よりも激しく私の口内を蹂躙する。
何度も角度を変え求め合ううちに、私の躯の奥深い部分に、ささやかながらも欲の火が灯されるのを感じた。
「観て。室井さん」
そう言われて、青島の視線の先を追う。
「あの娘もキスしてる」
ブラウン管の中で少女が中年男の唇を深く貪っていた。
「幸せそうな顔してるね」
アダルトビデオのはずなのに、口づけ合う二人は胸が痛くなるほど切なく美しく映った。
「……あのおっさんに負けないくらい、俺、あんたのこと好きですよ」
耳元で囁かれて、背筋をぞくぞくとした官能が昇っていく。
次いで舌が首筋を這い鎖骨の窪みへと降りてゆき、私はその痺れるような感触に酔う。
「室井さん……俺、もう止められないよ」
男らしい大きな手で私の躯を撫でさすりながら、熱を含んだ声で呟く。
仕方がない。止められないのは私も同じだ。
青島は、さっきまでのじゃれ合いで半分降りてしまったアンダーを、再びたくし上げ、自分が刻んだ紅い痕に愛おしげに舌で触れた。
傷ではないのだから痛みなど感じるはずもないのに、そこから疼痛が広がっていく錯覚を受ける。
舌はそれ自体が生き物のように、青島の痕跡をひとつひとつていねいになぞっていく。
そのたび、まだ湿った青島の前髪に胸や腹を掃くように撫でられ、じわりじわりと情欲の深みへと堕とされる。
やがて舌はまだ何の印も付けられていない場所まで下がっていき、私と青島とを隔てる布の壁に突き当たった。
そこで青島は一旦顔を上げた。そして小首を傾げて何か考えた後、ファースナーの最下部に口づけた。
「!」
てっきり脱がされるものと思っていた私は、驚いて上半身を起こした。
「青島?」
訝しむ私を無視して、青島は下から上に軽いキスを落としながら、器用に片手でベルトのバックルを外す。
「横になって」
言われて私は体を戻した。
何をするつもりなんだろうと思っていると、青島は口でズボンのボタンを外しだした。
青島の頭が左右に揺れるたび、肌に髪が触れてなんだかくすぐったい。
青島は、留め金も舌と歯を使って外してしまうと、今度はファースナーの取っ手を口に銜えジリジリと下げていく。
必要以上にゆっくりと下ろされることが、私をせつなくさせた。
一連の行為をしながらも手は休まず焦らすように太股を撫でている。
膝関節から足の付け根までを、スローテンポで行きつ戻りつする指に、だんだん
『器用なのは指だけじゃないんだな』などと悠長なことも考えていられなくなってきた。
ズボンの前の合わせを鼻先で割って、下着の上から形を変え始めている欲望の証を舐められる。
「んっ……」
布越しの感覚に奇妙な快感を覚え、僅かに腰が浮いた。
その一瞬の隙にズボンを下着ごと膝まで引き下ろされる。
外気の冷たさをそこに感じる暇もなく、暖かい青島の口腔内に飲み込まれた。
「くっ……」
突然の刺激に上がりそうになる声をすんでのところで押し殺した。
しかし、青島の舌が私を絡め取り追い上げていく。
やわらかく熱い舌が、根本といわず先端といわず、我がもの顔で縦横無尽に這いまわり、息が上がる。
私をもう戻れないところまで追いやっておきながら、意地の悪い唇は、決定的な刺激をあたえようとはしない。そのうえ、焦らすつもりなのか、私の腰が揺れ始めると、急に私から離れていってしまった。
「あ……ぅ……」
不意に青島の唇から解放されて、喉の奥から殺しきれない不満の声が漏れる。
「室井さん、観て、あの娘。俺、あのこと同じコトしてるんだよ」
私を見捨てた酷薄な唇が、私の鼓膜に焼き付いてけして離れない声でそう告げる。
私と同じように、熱と欲を含んだその声に促され、熱くなった体を持て余したまま視線を画面に動かすと、ビデオの少女が男の前に跪き、可愛らしい小さな口に男のペニスを頬張っているところだった。
当然局部にはモザイクがかかっていてはっきりとは見えない。だが、「うう……」という快感に打ち震える男の声が、何をされているのかを容易に想像させる。
私がいたたまれずに画面から目をそらすと青島は、
「ちゃんと観て。自分が何されてるのか、ちゃんと。今から俺が、あのおっさんよりもっと、気持ちよくしてあげる……」と言い、再び私を根本まで飲み込んだ。
青島の言葉がまるで催眠術のように私の全身に浸みわたっていき、私は画面から目が離せなくなっていた。
「んっ、んっ」と小さく声を上げながら、少女は無心で男に奉仕し続けている。大きすぎて頬張りきれないのか、苦しげに眉を寄せる顔がひどく艶めかしい。
その表情が一瞬、青島と重なって見えた。
「あ……あ、う……んっ」
その瞬間、私の中心から電流のような激しい快感が沸き上がり、自分でも信じられないような甘い声が漏れた。
私の声に気をよくしたのか青島の舌は、裏筋を根本から先端にかけてひどくゆっくりと舐め上げる。
もどかしいような鈍い愉悦に、もう片時もじっとしていられなくなってしまった。
先端からは待ちきれない滴が、とめどなく溢れ出し、その感触すらも私を忘我の彼方へ誘う快楽にすり替わろうとする。
舌先で溢れる樹液を拭い取られて、息も止まるほどの快感が全身を走り抜けた。
舌は執拗にそこばかりを攻める。
視線は変わらず画面を追い続けていたが、最早内容は全く頭に入ってこなくなっていた。
じゅる……くちゅ……という淫らな音も、ビデオの音声なのか、青島の唇から漏れる音なのか、混濁する意識では判別がつかない。
快感の先を促すように、私は青島の濡れた髪に指を差し入れた。
私の望を悟ったのか青島は、三度、私の情欲の塊を口中深く納めていった。そして頭を上下に振って、私を歓喜の極みへと導こうとする。
青島の口の中は熱く、脳髄がとろけそうな錯覚に陥る。
「はっ……うっ。あお、し、ま……」
私は射精感が近付くのを感じ、ぎゅっと青島の髪を掴んだ。
その手に青島の逞しい掌が重なり、
「イッてもいいよ」と言うように優しく撫でる。
続いて喉の奥で強く吸い上げられ、遂に私は、
「ああっ! 青島っ、青島ぁ!!」と最愛の者の名を呼びながら、何度も腰を振って、欲の全てを吐き出していた。
激しい快感に乱れた息が整うのも待たず、青島は私の躯を裏返し、双丘を両手で左右に押し広げる。
その行為が次にくる感覚を喚起させ、羞恥に頬が熱くなった。
思っていたとおりの生暖かく濡れた感触を入り口に感じ躯が震えた。
おそらく青島は、私が先程放ったものを舌にのせ、そこに塗り込めているのだろう。
声を殺すのも辛くなるほど、私のそこは青島を感じていた。
何故だ? 
いつもよりも敏感になっている自分に戸惑いを覚える。
こんなものを観せられているからだろうか?
たかがAVに、何もかも忘れて獣のように求めるまで、煽られるなど、私も青いなと思った。
そこで不意に私は、自分がまだ風呂に入っていなかったことを思い出
「ダメだ、青島。汚れてるから」と制止したのだが、
「平気です。室井さんの体で汚いとこなんか何処にもないから」と行為を再開する。
なんて歯の浮く台詞を吐くんだ。この中年男よりお前の方が、AV男優に向いてるんじゃないのか?
唾液と精液で充分潤わされたそこに、青島のしなやかな指が挿入された。
痛みはなかったが、異物の侵入に躯が違和感を訴えていた。
しかし、何度か出し入れされるうち、違和感が鈍い快感にすり替わっていく。
いつしか指が一本から二本、三本と増やされていった。
人差し指と薬指で入り口を開くようにして、伸ばした中指を更に奥へと進ませる。
くくっと中指の関節を曲げて内壁をやわらかく引っ掻かれ、電流のような悦楽が脳天へと駆け昇った。
「すげ……室井さんの中、ヒクヒク言ってる……」
熱を含んだ声で囁かれ、指では届かない奥深い部分が、青島を求めて悲鳴を上げつつあるのを感じた。
それを察したのか青島は、耳元に唇を寄せ、
「俺が欲しい?」と溜息のような声で訊く。
私がこくりと頷くと青島は、緩く頭を振って言った。
「ダメ。ちゃんと言葉にして。ほら、あの娘はちゃんと言ってるよ」
「ああん、もうだめぇ。お願い、ちょうだぁい、欲しいのぉ」
ビデオの少女は啜り泣き、懇願する。
いくら欲しくても、私にはあんな真似は出来ない。
画面の中年男が、少女の哀願を受け入れ、自らの欲望を少女の中に突き入れる様が視界に入った。
「うっ……ああ〜ん」
喜悦の叫びが鼓膜に届く。
その声につられるように、私も内なる叫びを唇にのせていた。
「青島、欲しい……もう、待てないんだ」
「うん。いいよ。俺も、もう待てない」
そう囁く青島の声も、掠れて欲が滲んでいた。
青島は私の腰を掴んで高く上げさせると、私の彼を求めて蠕動する場所に、雄々しく猛った己が分身をあてがい、一気に私を貫いた。
「はっ、ああっ!」
引き裂かれる痛みに全身に汗が浮いた。
だが、その後に訪れる快楽を私の躯は憶えている。
ゆるゆると青島の躯が動き出す。
「くっ……はあ……」
痛みに戦(おのの)く私の躯を宥めるように、青島は優しく背中をさすってくれた。
緊張が和らぐにつれ、痛みが甘い疼きに変化していく。
それに伴い、体奥深く封印された獣が目を覚まし、もっと強く、もっと激しくと咆吼を上げ始める。
「……室井さんのここ、熱い……」
淫靡な台詞が私を煽る。
「あっ、ああ……」
「ああーん!」
私の声と少女の声が重なる。
「ふふ……室井さんの声の方が色っぽいよ」
「は……はぁ……」
背中を撫でていた青島の手が、膨張し続ける私の中心にそっと添わされた。先端から止めどなく溢れる情欲の涙を親指の腹で拭われ、震えが走る。
「うっ……うう……」
「……気持ちいいの?」
そう訊かれても私にはただ意味をなさない音を紡ぐことしかできなかった。
「あぅっ……あっ、ああ……」
「ねえ、室井さん。あの娘観て。すごいイイ顔してる……」
ビデオの少女は快楽に身を委ね恍惚の表情をしていた。男なら誰しもが陵辱したいと思わずにはいられないような、淫らで艶めかしい顔だった。
「……室井さんも、あんな顔してるんだよ」
そんな馬鹿なと思うが、自分の今の溺れ方に思い至り、それが嘘ではないことを自覚する。
そのことに羞恥を覚える間もなく、激しく腰を突き入れられた。
「はっ! ああっっ!!」
突然の衝撃に息が詰まる。
「ほら、今。ものすげーイイ顔してた」
悔しいが、きっと事実そのとおりなのだろう。躯を重ねる回数が増えるごとに、私はこの男の呪縛から逃れられなくなっている。こんなことを繰り返していては、いつか地獄に堕ちるのかもしれない。しかし、この男となら、そこに堕ちてみるのも良いと思う自分も確かにいるのだ。
「……ココが、よかったんだよね」
そう言って青島は、ずっと青島を欲しがって疼いていた私の最奥を突き上げた。
「あっ、あっ、ああ……」
前を扱くリズムと合わせるように腰を入れられ、短い悲鳴が上がってしまう。
「あっ、いやっ、やめないで。もっと、もっとぉ」
スピーカーから少女の淫らな声が流れてくる。
「あ、あ、ああっっ……」
意識が白濁し、耳に届いているのが少女の声なのか、自分のものなのか、わからなくなっていく。
「あ、青、しま……もう……」
「……イキそう?」
「う……うん……イク……イカせて……くれ……」
聞こえ続けている少女の喘ぎ声に背を押されるように、私は正直に自分の欲を吐露していた。
「いいよ、イッて」
そう言って最奥に昂ぶりを打ち付けられ、絶えきれず私は、枕代わりに使っていたクッションをぎゅうっと握り締めた。
たまらない刺激に後庭が収縮していくのを感じる。
「わっ、室井さんっっ! そんなにしたら……俺も、もう……」
青島の腰が逃げていくのを感じて、慌てて腕を掴み押し留めた。
「行くな。最後まで……」
「……だって、俺、今日、アレつけてないし……」
そんなことは知ってる。それに、そんなのは今日に限ったことじゃないだろう。他のことでは後先考えずに暴走するくせに、こんなときばかり紳士になるな。
「いっがら……中、出せ……」
絞り出すように意志を告げ、掴んでいた腕に爪を立てた。
「もう、知らないからね……」
溜息まじりにそう言って、青島は抜くギリギリまで腰を引き、一気に最奥を突き上げた。
「ーーーーーーーっ!!」
私は声にならない悲鳴を上げて自失した。
「うっ……室、い、さ……」
一拍間をおいて、躯の奥深くに青島の熱い息吹が放たれるのを感じた。
いつの間にかビデオは再生が終了し、画面には灰色の砂嵐だけが映し出されていた。





風呂から上がってくると、青島がソファでくつろいで、煙草の煙をくゆらせながらビデオを観ていた。
「なんだ、また観てんのか?」
「あ、室井さん。ゆっくりだったっスね」
「ああ、誰かさんが無茶するから、体のあちこちが痛くてな」
厭味を込めてそう言ってやると青島は、奴に似合わぬしおらしい態度で、
「……あ、すみません」と項垂れる。
「……冗談だ。……二十四時間風呂だとついくつろいでしまってな。待たせて悪かったな。何観てるんだ?」
そう訊くと、
「あ、『ロック』です」と答え、さっきまでの落ち込みは何処吹く風というように、喜々として語りだした。
「これのね、ニコラス・ケイジが良いんですよ。ショーン・コネリーも格好いいんですけどね、ニコラスの情けなさと格好良さの微妙なバランスがね、すごいイイカンジなんです。俺、『コン・エアー』も劇場で観ましたけど、やっぱ、こっちのニコラスの方がらしいっていうか……」
「青島」
青島の映画談義を聞くのは楽しいが、訊いておきたいことがあったので、それを制止した。
「説明してくれるのは嬉しいんだが、お前、ビデオ屋には電話したのか?」
「はい? 電話? なんでですか?」
青島は私が何を言っているのかわからないというように、キョトンとした顔で私を見つめた。
「なんだ、やっぱり、まだなのか。早くしないと店、閉まっちまうぞ」
「だから、なんで? 何を電話するんですか?」
まったく、ホントにこいつはトリ頭な奴だな。ほんの二時間前に自分が言っていたことなのに。
「ビデオ、間違えて借りて来ちゃったんだろ」
「ああ! それ」
青島はやっと納得がいったと手を打った。
「……でも、別に電話までしなくても。もう元、しっかり取れちゃいましたし、お釣りがくるくらいですよ。あーんな室井さんが見れて」
ボカッ!
青島の暴言に思わず頭を拳で殴りつけていた。
「ってぇ〜。殴ることないでしょ」
青島は頭を押さえ、恨みがましい目で私を見た。
うるさい、お前が悪い。いつもいつも、こっぱずかしいことばかり言いやがって。
それにさっきも言ったはずだ。細かい金を始末しろと。なのにそれをもうケロリと忘れてしまうなんて。
「『ターミネーター』はどうでもいいのか?」
「ああ、それは、また今度借りますよ」
「今度借りるとき、四百円出すんだろ」
「そりゃ、払わなきゃ借りれませんから」
「……だから、電話しろと言ってるんだ」
青島は無言で小首を傾げる。
「……『違うビデオが間違って入ってました』って言えば『ターミネーター』タダで借りられるだろ」
「あ……」
やっとわかったか。鈍い奴め。
「室井さん……あんたって……」
青島は口を半開きにし、目を瞬かせて私を見つめていた。
ふふん、感心したか。金というものはこうやって始末するんだ。
青島はまだ黙って私を見続けている。
おい、そんなに見つめるな。照れるじゃないか。
たっぷり五分は無言で見つめた後、青島は、私の気持ちを思いっきり裏切る言葉を吐いた。
「…………やっぱり……セコい」




ちゃんちゃん



アンケートに答える

戻る

inserted by FC2 system