命の貴賤
命の重さには貴賤がある。
いきなり何を危険なことを言うのかとは自分でも思う。
でもこれは、ずっと以前から私の心に根付いている考えだ。
自分でもあまりにも勝手で、しかも右よりな意見なので、他人にこの思想を話したことはない。
しかしどうしても、人の命について深く考えると、この思いに行き当たってしまうのだ。
危険思想を告白したついでに、更にきわどいことも言ってしまおう。
私は他人に殺意を抱いたことがある。
それも
「ああ、あの人死んでくれないかなー」なんて可愛らしいものではなく、犯行計画まで立て、そのために必要なものを購入するほど具体的にだ。
ただし、実行はしなかった。
その理由は罪悪感からではない。
冷静に考えてみて、その計画には隠蔽部分で穴があり、警察を欺くには無理があると判断したからだ。
それと、仮に犯行が成功し、無事警察を欺くことが出来たとしても、私自身が私を犯罪者だと知っている。その事実を黙して生きていく強さが、残念ながら私にはない。
私が殺してしまった相手には、殺そうとまで思ったのだ、同情や懺悔の気持ちは感じないが、それでも法を犯し万が一バレれば裁かれ投獄(場合によっては処刑)されるかも知れないという恐怖には耐えられる自信がなかった。
そして何より、殺したいほど憎い相手のために、何故私が犯罪に手を染めてやらなければならないのかという憤りが、私に殺人という悪しき行為を思いとどまらせた最大の理由だった。
そのときからだ。私が命の重さに貴賤を感じ始めたのは。
──人の命は地球よりも重い。
そんな言葉をどこかで聞いたことがある。
この言葉はおそらく、特定の誰かひとりの人を指すものではなく、人類全ての命を広く平等に指し示すものなのだろうと思う。
確かに、客観的に見れば、どんな人の命も尊く重いものだろう。
この世に、殺されてもいい人、死んで当たり前な人など、ただの一人もいはしない。
例えそれが、無差別に大量虐殺をした猟奇殺人者であってもだ。
被害者の遺族から見れば、そんなバカなと言いたくなるだろうが、人の命がすべからく平等であるなら、罪人の命もまた、地球より重いのだから。
そう。全ては神の目から俯瞰で見た場合のことなのだ。神などという者が本当にいるのかどうか、私は知らないが。
だから私は、命の重さには貴賤があると言うのだ。
私にはかつて殺したいほど憎い相手がいた。そいつの命は私にとっては虫けら以下だ。だが、同時に、私にはとても愛する人がいる。その人の命はたぶん比喩ではなく地球より重い。その人がこの世からいなくなれば、私の世界も終わってしまうのではないかと思うからだ。
それだけでもそこに貴賤が生じている。
テレビのニュースや新聞で、有名人の訃報が報道されても、何処かで事故や災害が起こり無数の人が亡くなっても、同情こそすれ、涙を流すことなど滅多にない。しかし、ひとたびその中に、自分の身内が混じっていると知れば、その身を案じもするだろうし、死亡が確認されれば嘆き悲しむことだろう。
つまりは、そういうことなのだ。
誰も彼もの死を平等に悼むことが出来るほど、人間のキャパシティは広くない。
見も知らぬ赤の他人の命を大切な誰かの命と同一に考えることは出来ないのだ。

さて、ここで、話を「ジャイアントロボ」……否、盟友に戻したい。このコンテンツは曲がりなりにも、盟友の調査報告をする場なのだから。

私は盟友は──ことに眩惑のセルバンテスは──この貴賤について、論理だけではなく感情面でも理解している人物と解釈している。
悪の秘密結社の構成員。その肩書きがあるがために、彼らは悪鬼の心しか持たぬ者と理解されがちだ。
だがそれは大きな間違いだ。
例え法律的に許されぬ悪行をはたらいた大悪党でも、所詮は人の子。生まれ落ちたそのときから悪魔のような残虐さを持ち合わせていたはずはない。
いいや、赤子まで遡らずとも、前述の命の貴賤を考えてもらえば、おのずと答えは出るのではないかと思う。
彼らが邪魔者を抹殺するのは、そこに明らかなる命の貴賤が生じているからだ。
アルベルトにとって、セルバンテスにとって、ビッグファイヤの御意志を妨げる者の命は虫けら以下だろう。
虫けらを始末するのに情けはいらぬ。罪悪感とて微塵も感じはしないだろう。彼らは私などよりも遥かに強く逞しい精神を有しているのだから。
彼らには迷いはない。迷うことが許されないと言いかえてもいい。
彼らの心の法に照らし合わせて、虫けらを始末することは正しく「正義」であるのだ。

この様なことを述べると、まるで私がテロリスト擁護派のように聞こえるだろう。何年か前、現実の世界でもテロ行為がなされ、その結果長きに渡る戦争にまで発展してしまったというのに不謹慎なと。
だが、そう思われるのは覚悟の上だ。
別段、ここを読んで下さっている貴方に喧嘩を売るつもりではない。
が、そう取られてしまうことを書いたという自覚はある。
そして更に続ける。不謹慎を承知で。

私は、現実に起きた同時多発差テロの報道を耳にしたときにも、前述した「命の貴賤」を考えた。
テロの実行犯は、このテロ行為の成功のために、自らの命を犠牲にしている。
そればかりではない。当たり前といえば、あまりにも当たり前ではあるが、見ず知らずの赤の他人である乗客何百人もの命も捧げたのだ。
赤の他人の命は「どうでもいい命」、「賤」の命だ。
自国が某大国からの真の意味での独立を得るためならば、自らの命を賭しても良いのだから、とうぜん「どうでもいい命」なぞ犠牲になろうがかまいはしない。
さあ、質問だ。
この実行犯は悪魔か? 彼には人の心など欠片もなかったと言い切れるか?
私は彼ではない別の人間であるから、真実、彼の心がわかるわけではない。
が、おそらく彼は、自分の名など地に堕ちても、命を失ってしまっても、どんなことをしてでも守りたい「貴」の命があったのだと思う。
だから、自分の命と「どうでもいい命」を屠ったのだ。
哀しいかな、結果は吉とは出なかったのだが。
しかし、私は、この結果になったのは、彼の行いが「絶対悪」であったからの天罰だとは思いたくない。そう思ってしまえば、某大国の思想こそが「絶対善」ということになってしまうからだ。それは認められない。私が認めたくないばかりではない。そう認めたくないからこそ、彼は──彼ら実行犯たちは──自らの命を投げ出したのだろうから。

永久普遍の「善」と「悪」を分別することは、「この世で誰の命が最も尊いか」を論ずるほど難しい。
我々は神ではない。誰も全て等しく賤しい「地に這う虫けら」なのだ。
虫けらには神ほどの万能なる視界は与えられてはいない。
そう、簡単に言えば、誰もが等しく、自分と自分に関わる大切な誰かのことだけで手一杯なのだ。

私は盟友を「私などよりも遥かに強く逞しい精神を有している」と形容した。けれどもそれは、神の視界を持っているという意味ではない。法の制約をものともせず、官憲の目を恐れることもないという意味での、強さ、逞しさだ。
そして、その強さ、逞しさを与えてくれたのは、他ならぬビッグファイアの存在なのだろう。
だからこそ、その方のために、某国のテロ実行犯のごとく、自らの命を差し出すことも出来るのだ。他者の賤しき命も。
むろん、全てのBF団員がすべからく同一の思想を持っているとは思っていない。
ここまで述べた理論と矛盾する意見になってしまうが、眩惑のセルバンテスに関しては、この理論が若干当てはまらない気がするからだ。
衝撃のアルベルトは、一見、単純明快な単細胞生物に見えるがその実、途轍もなく複雑な人物であるように、眩惑のセルバンテスもまた、いや、彼ならばこそ、一口では形容しきれない多重構造の人格を要している。
そして彼は、以前の「調査報告」でも述べたと思うが、策士・諸葛亮孔明に準ずるほどの知恵者でもあると思っている。
ゆえに、彼が命を賭すものは、ビッグファイアではないかもしれないとも考えられるのだ。
さあ、そろそろ、きな臭くなってきたとお気付きのことと思う。
ここまで来てようやくか!? と、お怒りのことでもあろう。
そうなのだ。皆さんの考えていらっしゃるとおりだ。
眩惑のセルバンテスにとっての「貴」の命とは、衝撃のアルベルト唯一人! それ以外の人間は、自分も含めて全て「どうでもいい命」だろう。もちろん、かのビッグファイアでさえも。
私は、たった一人でも、この世に「貴」なる命(自分以外の)を持っている者は、悪魔たり得ないと思っている。何故なら、たった一つといえども命を尊ぶ心とはすなわち「愛」に他ならないからだ。
愛を知るものを「悪魔」とは言えまい。
だから主観だけで論じられたくはないのだ。盟友の、否、全ての「悪人」と呼ばれる「罪人」と謳われる人々を。

私が、貴方が、被害者が、当事者が、誰かを「憎い」と思うのは、これ全て「命の貴賤」のなせる業なのだ。
神ならぬ愚かな人間は、愛を知っていて尚、いいや、知っていればこそ、「殺したいほど憎い」相手に出会うことがままあるのだ。
「悪人」だからではない。「罪人」だからではないのだ。我々が「地を這う虫けら」「愛を知る生き物」であるがゆえ、止むに止まれず「殺意」を抱くのだ。
自分の娘を息子を、あるいは親を、または親友を恋人を妻を夫を殺された者が、加害者に対して「お前なんか死刑になればいい」と思うのも、間違いなく「殺意」だ。被害者の遺族にとって、もはや被疑者の命なぞ虫けら以下なのだ。

我々人間は、生まれてから死ぬまで、こうして「命」を「貴」と「賤」に分別して生きていく。誰の命も等しく地球より重いことを知っていても。
それは罪ではない。
それを「罪」と断じることが出来るのは、全ての命を等しく計ることの出来る「神」だけだ。
ならばBF団は本当に真の意味で「悪」の秘密結社だろうか?
そしてそこに集う人々は?
それは誰にもわからない。
その確たる答えを出すことが出来るのもまた、万物を公平に慮ることの出来る「神」しかいないのだから。




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