情熱熱風セレナーデ |
のっけから、勘違いしまくり。 眩惑のセルバンテス(以下ダラー)と衝撃のアルベルト(以下衝撃)は愛し合っています。 他の人にはどう見えるか知りませんが、私は愛し合ってると思っているのです。 いいじゃねーか、腐女子のファンタジーだよ。 アタシは髭男が絡まり合ってんのが好きなんだよっ!! すいません、興奮しました。いろいろと…。 えー、では本題に移りましょう。 今回のお題は「38のセル×アル観、基本編」でございます。 「なぜダラーは衝撃を愛してしまったのか」と言いかえてもいいですね。 私の描く盟友は、パッと見、いかにオヤジで汗臭く映っていても、かなーり溶けかけにラブラブであります。 はっきり言ってバカップルです。 本人(38)は、夫婦テイストを目指しているらしいです。 でも、文字にはしていない部分に、やはり、人外の何か、人として歪な部分があるとも認識しています。 それについて、第一回目の今回は、ちょっと真面目に語ってみようかと思います。 悪役の悪役たる所以。それは「人として歪な部分」なのではないでしょうか。 超能力や運動能力といった、有形の人ならざる部分ではなく、もっと内なる異形。正義の味方にはない闘争本能、攻撃欲。法のモラルに照らし合わせると、絶対的に逸脱している欲望。それらが「歪な部分」の正体ではないかと私は考えています。 ダラーも衝撃も、本編終了現在、この世にはない人です。 ダラーに至っては本編が始まったときに既に死んでいました。 命の期限が(視聴者に)知らされているというのは何とも切ないものです。 どんなに幸せな季節(とき)を綴っても、若くして死んでしまうことが見えている。享年38歳(ダラーはいくつだったのでしょうか? 私はダラーは衝撃より四つほど年上だと考えていますが)は哀しすぎます。 ですから、中には、「もしも衝撃のアルベルトが国際警察機構の側の人だったら、もう少し明るい未来があったのかもしれない」と考える人もいるかもしれません。実際、私は初めて「ロボ」を観たとき、そう思わずにはいられませんでした。 しかし、あれから数年たち、あの頃以上にダラーと衝撃を愛するようになった今(2002年7月23日現在)は、その「もしも」は例え地球が割れてもあり得ないと思うようになりました。 何故なら、彼らは闘う人だからです。守る人ではないのです。 殊に衝撃は、自分の肉体すら守ろうとはしない人です。 多くのアルベルトファンは私が語るまでもなくお気付きのことと思いますが、彼の戦い方は、己の命を省みない水際すれすれの危うい戦闘です。 誰も止めなければ、生身でジャイアントロボと闘いかねない勢いです。 (事実、某プレステゲームに登場する彼は、「エヴァンゲリオン」の使徒と生身で戦闘をします) ただの阿呆と言ってしまえばそれまでですが、おそらく彼は、命を惜しむことよりも、全力を賭して闘うことの方に魅力を感じるタイプなのでしょう。 そんな人が、誰かを何かを守るための組織に従事したりするものか。 彼はただ闘うためだけにBF団にいるのです。 黙っていても、より強い敵をあてがってくれる。BF団は彼にとって楽園と言っていいでしょう。 法もモラルも守る必要はない。 あるがままに生きることで組織に貢献出来るのです。 これほど素晴らしくバランスの取れたギブ・アンド・テイクを私は他に知りません。 そう考えると、彼がいかに人として歪な者であっても、私は彼はこの上もなく幸福であったのだと思います。 そして、衝撃のそういう部分をすべて汲み取って愛したのが、眩惑のセルバンテス。(もちろん、My妄想で) 衝撃はダラーにとって、ある種の憧憬を抱く存在ではなかったか? と私は考えます。 眩惑のセルバンテスもまた、衝撃のアルベルト同様、「歪な者」です。 ですが、その歪み方の形は、衝撃とはまったく別種のものでしょう。 彼は衝撃ほどには闘うことに興味がありません。 いいえ、生きることそのものに興味がないのかもしれません。 厭世観と言うほどでもないでしょうが、持てる全ての情熱を注ぐまでに彼の興味を惹く対象は、この世には何一つなかったのだと思うのです。 晩年、命を捧げる結果になってしまったBF団すら、彼にとっては、死ぬまでの退屈しのぎの一つでしかない気がするのです。 自分の命に興味のない人は、当然のことながら、他人の命も虫けら同然でしょう。 何処で誰が死のうが、あるいは自分が殺そうが、哀しみも罪の意識もまったく感じない。 死ぬのは役目が終わったからなだけ。殺すのは障害物を排除するためなだけ。 だからでしょうか。彼の闘いにイコール殺人の匂いがするのは。 そんなダラーの興味を唯一惹いたのが、衝撃のアルベルトその人です。 初めは単なる珍しいものでしかなかったでしょう。(ハートの髪型や、無駄な大回転技も含めて) けれど、どういう経緯(その辺を小説で書けばいいのにな、38は)でか、何度も作戦を共にするうちに、けして複雑ではない衝撃の人となりを知り、その中に自分にないもの──深層意識では欲していたもの──を見たのではないでしょうか。 それはたぶん情熱。(うわっ、さぶっ!!) 気持ち良く生きるために、これほどの情熱をかけることは、自分には出来ない。いや、思いつきもしなかった。 そう感じたとき、ダラーの中にある種の憧憬が芽生えたのではないかと私は踏んでいます。 そういう気持ちを抱いたものは、後にも先にも衝撃のアルベルト一人だったのでしょう。 ダラーにとって衝撃は、紛う方なき「特別な存在」です。 特別な人を「愛している」と感じるようになるのに、たぶんそんなに時間はかからないと思います。 さて、ここからは、腐女子モード全開で。 「愛している」ならすることは一つです。 子供じゃあないんですからね。 ましてや、二人はBF団員。倫理なんて関係ねーよ、な世界の住人です。 甘々ラブラブから究極変態プレイまで、望めば何だってやってしまえるのです。 それを衝撃も望んでいるかなんて、知ったこっちゃありません。 なんせ、眩惑のセルバンテスは、人を人とも思わない人非人です。 「思いやり」とか「慈しみ」なんて言葉は彼の辞書にはあるだろうけど読めません。 同様に衝撃の辞書にだって「思いやり」「慈しみ」は母国語では記されていないでしょうから、まあ、割れ鍋に綴じ蓋といったところでしょうか。 そうは言っても、惚れているのはダラーの方ですし、ダラーは孔明にも匹敵するほどの策士だと思いますから、初戦は搦め手で攻めて欲しいところです。 おいおい、真面目に語るとかいって、結局これかよ。 しかも、かなりなドリームが入っている…。 本編に五分強しか登場しないキャラを脹らましすぎですな。 いやいや、まあまあ、所詮は腐女子の戯言ですから、人の数だけダラー像があると思って、笑ってご容赦下さいませ。 最後まで読んで下さった豪傑の方、ありがとうございました。 またのお越しをお待ちしております。 |