【青島編】


とうとう約束の日が来た。
俺はこの日が来るのを首を長くして待っていた。
朝からずーっとドキドキして落ち着かない。昨日の夜なんか、興奮しちゃって寝れなかったぐらいだ。遠足前の小学生か? 俺は。
でも、仕方ないよな。一ヶ月ぶりだもん、あの人に会えるのは。
待ち合わせに指定されたのは、以前、営業マン殺人事件のことで意見を聞かれたときと同じ場所だった。
これって、もしかして……と思っていたら案の定、上空からバリバリバリバリっと轟音が聞こえてきた。
俺は音のする方を振り仰ぐ。
オイオイ、マジかよ……。ホントにヘリで来たよ、この人……。
ヘリは爆風を蹴立てて俺の前に降りてきた。
窓から、髪をぴっちりオールバックに固めて黒いロングコートに身を包んだ、いつもと変わらない姿のあの人が見えた。
俺は嬉しくなって、あの人が降りてくるのも待ちきれず、窓の下まで駆けていった。
「室井さ〜ん」
窓を叩いて呼ぶと、室井さんは大きな目をますます大きく見開いて俺の名を呼ぶ。俺、この人のこの顔大好きだ。
「へへへ……。ホントにこれで迎えに来てくれたんスね」
厚かましいとは思ったけど、勝手に扉を開けて中に入った。だって、乗せてくれるつもりで来たんでしょ、室井さん。
パイロットが訝しげに俺を見てる。ま、しゃーないか。俺って警官には見えないらしい。制服着るようになって、やっと「お巡りさん」って呼んでもらえるようになったけど。
「やってくれ」
室井さんの命令で、ヘリは静かに上昇し始めた。
「おおっ! 飛んだ!」
初めて乗るヘリコプターに大感動の俺に、
「あたりまえだ」と、室井さんはにべもない。
「いや、それはそうなんだけど……。俺、こういうのに乗ったことないんですよ。なんか感動しますね。やっぱ」
「そうか? 私は何も感じないが」
「そりゃ、室井さんは、毎日乗ってるから……」
「乗ったのはまだ二度目だ」
「え?」
「ヘリを使用するためには警備部に書類申請しなければならない。経費もかかる。たびたび使うわけにはいかない」
「へー、そうなんスか。じゃ、パトカーと同じだ」
「……」
「……え!? てことは、もしかして俺のために?」
「……」
「マジで? もーっ! 室井さん律儀なんだから」
俺は思わず室井さんに抱き付いていた。室井さんの眉間の皺が深くなってる。でも、室井さんが悪いんだよ。俺を嬉しがらせることするから。
「ちょっと! お二人とも、ヘリで暴れないで下さいよ!!」
パイロットに叱られてしまった。でも、ぜんぜん腹は立たない。むしろ嬉しくって仕方がないくらいだ。ヘリには乗れたし、何より隣に室井さんはいるし。
一ヶ月前、警視庁の大階段で別れるとき、俺はもう、この人とは二度と会えないかもしれないと覚悟を決めていた。
なんせ、向こうは国家公務員キャリア組の警察官僚、出世街道邁進中のバリバリのエリート、こっちは上の命令無視して大暴走かましたツケで交番勤務のお巡りさんに格下げの、正真正銘の平警官。
俺がどんなにがんばったところで、前みたいに仕事中偶然バッタリなんてこと絶対にありえない。
うちへ遊びに来いって言ってくれたのも、単なる社交辞令だと思ってた。確か森下の奴にもそんなこと言ってたって聞いたし。
だから俺も社交辞令のつもりで言った。
『ヘリで、迎えに来て下さい』
なのにホントにヘリで迎えに来るなんて。かっこよすぎるよ、室井さん。





「失礼しまーす」
初めて来る室井さんの家は、当たり前だけど室井さんの匂いがした。室井さんには気付かれないように、小さく深呼吸をして空気を満喫する。だって、こんなこと、もう二度とないかもしれないのだから。今日は約束があったから呼んでくれただけ。この生真面目な官僚は、きっと誰との約束も守るに違いない。あんな、季節の挨拶みたいな他愛のない約束でさえ守ってくれた。反対に言えば、あの約束がなかったら、俺はきっとここにはいない。
「青島くん? どうしたんだ、早く入り給え」
玄関先で逡巡していた俺に、室井さんが不思議そうに声を掛けた。
「あ、はい」
俺は決まりが悪くて、頭を掻きむしりながら靴を脱いで、室井さんの後に続く。
「適当に座ってくれ」
「はーい」
リビング……っていうよりは茶の間って感じの強い居間だった。八畳ぐらいの畳の間の中央に、今時珍しい卓袱台が置いてある。その上には土鍋があった。
ああ、この人ホントに鍋するつもりなんだ。
なんだか微笑ましくて胸が痛い。きっと俺はこの人のこういうとこが、どうしょうもなく好きなんだ。
卓袱台の前に向かい合うように、座布団が二枚セッティングしてあった。俺はドアに近い方の座布団に座った。
室井さんはコートと背広を脱いでハンガーに掛けると、俺にも空いているハンガーを渡してくれた。俺はそれを受け取って自分のコートを掛ける。
「ビールでいいか?」
奥のキッチンに入った室井さんが、冷蔵庫を開けて俺に尋ねた。
「日本酒もあるが」
「あ、じゃ、ポン酒で」
俺の予想どおりならきりたんぽのはずだ。だったらやっぱりビールより日本酒の方が合う。ホントは俺はビール党なんだけど。
「地酒ですか?」
「ああ、実家から送ってきた」
「秋田でしたよね。きりたんぽ。俺、食べたことないんです」
「君は、東京か……」
「今日、ホントに鍋なんですね」
俺は鍋の蓋を開けてみた。
「なんだ……。まだ空っぽか。ねえ、きりたんぽってどんなもんなんですか?」
実を言うと俺はまだ一回もきりたんぽの実物を見たことがない。
「見たことないのか? お茶のCMでやってたろう」
「あ、小林聡美の。蒲鉾みたいなやつね」
「それは笹蒲鉾だ。きりたんぽはこれ!」
室井さんは、ちょっとムッとしてきりたんぽの入った箱を俺の目の前に置いた。
俺は箱からそれを一本取り出して、しげしげと眺め入る。
「でかいですねー。こんなもん鍋に入るんですか?」
「切るに決まってる」
「あ、そうか……そりゃ、そうっスよね」
室井さんが呆れた顔で俺を見てる。そりゃそうだよな。故郷の名物にこんな反応返されりゃ。それに今時、きりたんぽぐらいコンビニでも売ってる。見たことも食べたこともないなんて、俺の方がバカなんだ。
俺はバツが悪くて頭を掻きながら苦笑いをした。
ふと見ると、室井さんの頬がちょっとだけ緩んでる。笑うってほどじゃないけど。
俺は急に心臓が早鐘を打つのを感じた。
あの時と同じだ。
あの時も、こんな風に胸がドキドキしてた。
大階段で、室井さんが初めて笑ったとき。
唇の端を少しだけ上げて微笑んだ顔は、普段のしかつめらしい表情からは想像もできないくらい綺麗で、なんでだかそのとき俺は泣きそうになってた。
そして初めて俺は自分の気持ちに気が付いたんだ。
別れを知って気が付くなんてバカだと思いながら。
でも、今、室井さんは俺の目の前にいる。手を伸ばせば抱きしめることだって簡単に出来るくらい近くに。
俺のそんな邪な気持ちをまるで知らない室井さんは、
「今準備する」と、箱を抱えてキッチンへ姿を消した。
俺は無意識にその後を追う。
もちろん、今すぐ何かしてやろうなんて気はないけど……。
え? 何かってなんだ? 何考えてんだ、俺。
「もうちょっと、時間かかるから、風呂でも入るか?」
急に振り返って訊くから、見透かされてるのかと思って、ドキリとした。
だって、風呂入ってこいってことはつまり、泊まっていけってこと、だよな。もしかして、それは、少しは脈があるって思っても……。
「あのー」
俺は思いきって一歩踏み出してみることにした。
「タオルは出してある。石鹸とシャンプーは好きに使っていいぞ」
「いえ、そうじゃなくて……」
何が言いたいのか判らないって顔してる。
鈍いよ、室井さん。マジボケ? それともわざとか。
「一緒に入って、流しっこしません?」
ああっ、変な顔してる。失敗したか。
慌てて、俺は付け足した。
「修学旅行みたいで楽しいですよ」
やばいやばい。今、警戒されたら、鍋すらも出来なくなっちまう。
「……馬鹿言うな。ユニットバスだぞ。狭くてそんなこと出来るわけないだろ」
良かった。怒ってない。
「あははは……そうですね。すいませーん、一人で入りまーす」
こういうときは、焦りは禁物だ。それに、だいだい、風呂なんか一緒に入って、どうしようって言うんだよ。勢いつきすぎだ。ケダモノか俺は。
ああ〜、自分の気持ちに気が付くと、俺って歯止めがきかないタイプだったんだ……。
俺は渋々、ホントに渋々、一人でバスルームに向かった。





「♪咲き誇る花は〜散るからこそに美しい〜♪」
風呂から上がると、キッチンの方から微かに歌声が聞こえてきた。
ええっ!? 室井さん? 俺は耳を疑った。
だけど、開いた扉の向こうに見える室井さんの後ろ姿から声は聞こえてくる。唄ってるのは間違いなく室井さんだ。
とても楽しそうにしているその空間を壊したくなくて、俺は足音を忍ばせて居間へ戻った。
室井さんは俺に気付きもせず、幸せそうに野菜を刻んでいた。
トントントントン……。
リズミカルな包丁の音に混じって低く甘い歌声が俺の耳をくすぐる。
なんて甘くて切ない時間なんだろう……。
俺は、室井さんを後ろからぎゅっと抱きしめたい衝動を、ぐっと押さえ込んで、既に二番のフレーズに差し掛かった歌声に合わせて
「♪海を潜るには〜息を止めなきゃ潜れない〜♪」と、唄いながら室井さんに近付いた。
「うわあっ! びっくりした。いつの間に……おどかすな」
室井さんは、俺の大好きな顔をして振り向いてくれた。
「一世風靡ですね。懐かしいなあ。俺、昔ファンだったんスよ」
俺は幸せで緩みきった頬のまま言った。
「え?」
「今、口ずさんでた歌」
「唄ってたか?」
「ええ、バッチリ、くっきり、はっきり」
気が付いてなかったのか。あんなにでっかい声で唄ってたくせに。やっぱり、この人、可愛いなあ……。
「けっこう、歌上手いっスね。今度カラオケ行きましょうか」
さりげなく次のアポを取り付けようとする俺って、下心バリバリだ。
「……」
俺の誘いに室井さんの頬が緩んでいく。吹き出したいのを我慢してるみたいな複雑な表情で微笑む。
「あ、笑ってる。本気にしてないでしょ」
「いや、そうじゃない。ただ……」
「ただ、何ですか?」
判ってるけど、聞いてみたい。そんな気持ちで訊ねた。答えはなかった。でも、かまわない。言わなくったって顔にちゃんと書いてある。俺といて楽しいって。
「まだ、笑ってる」
「さあ、出来たぞ。座れ。美味いの食わしてやる」
「うわーい」
俺は年甲斐もなく、子供みたいにはしゃいだ。だって、そうしたいぐらい幸せな気分だったんだ。





「あーっ美味かったあ。もー腹いっぱい」
「デカイ声出すな。お前、酔ってるだろ」
「室井さんだって酔っぱらってるれしょ」
「俺は……そうかもな……」
「やっぱり。でも、すごい」
「何が?」
「……言っても怒らない?」
「言わなきゃ、わからないだろう」
「……酔っぱらっても、標準語なんですね」
室井さんが、地方出身だってことを気にしてるのは知っていた。もしかしたら、このことは触れちゃいけないことなのかもしれない。
「……方言を使うと部下に舐められる」
案の定室井さんは、少し辛そうな顔をして答えた。でも、俺は、そんなことコンプレックスに感じて欲しくなかった。だから、俺は、その気持ちが正しく伝わるように言葉を紡ぐ。
「俺は……嬉しいけどな」
「嬉しい?」
「方言が出ちゃうってことは、安心してるからでしょう」
「……」
「信頼されてるってことですよね。信じてもらえるってのは、やっぱ、嬉しいですよ」
「そうか……」
「それに方言ってなんか暖かい感じがするし。好きだな」
「……そんなこと言われたのは初めてだ」
「それは、みんな、警戒してるからですよ」
「警戒?」
「俺、東京出身だからよくわかんないっスけど、方言で喋りたい人多いんじゃないかな。本店にいる人みんな、東京者ってことないだろうし。みんな室井さんと同じなんですよ、きっと」  
そう、だから、室井さんも、もっと肩の力抜いて……。
「……不思議だ……」
「え?」
「君といると、くだらないことで悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなる」
「くだらないとは思わないですけど、一人で悩むのは辛いですよ」
「……」
「俺じゃ、役に立たないとは思いますけど、辛いことがあったら言って下さい。俺、いつでも話聞きに来ますよ。聞くだけしかできないけど」
下心は……ある。そりゃ、もう、思いっきり。だけど、それ以上に室井さんの役に立ちたいって気持ちの方が強い。そう思っても、所詮、俺に出来るのはこんなことぐらいだ。だったら、甘えて欲しい。たった一人で闘わないで。姿が見えなくてもいつも俺がいるってこと思い出して。こんな俺にも、あんたのために出来ることがあるんだって思わせてよ。
室井さんは、黒目がちな大きな瞳で、真っ直ぐに俺を見つめていた。
一瞬、吸い込まれそうな錯覚に陥る。
「……酔ってるんじゃなかったのか?」
ふいに訊ねられて我に返った。
「は?」
「警察官みたいなことを言う」
「警察官ですから」
「そうだったな……」
当たり前のことを訊かれて、当たり前の答えを返す。だけど、その台詞の裏でお互いに何かを探り合ってる、そんな気がした。
「酔ってんのは、室井さんの方じゃないですか」
もし、室井さんも、俺の真意を測ろうとしているのなら、気持ちを伝えるのは今かもしれない。
「だって……ほっぺたが赤い……」
俺は、怒られるのを覚悟でそっと手を伸ばし、室井さんの薄紅色に染まった頬に触れた。
俺を捉えていた漆黒の瞳がゆっくり伏せられ、俺の手に室井さんの手が重なる。
「あの……室井さん?」
心臓が早鐘を打つ。
「もう少し、このままでいてくれ」
室井さん! わかってるの? そんなことされたら、俺……。
ずっと押さえ込んできた俺の中の獣性が目を覚まそうとしている。
『ダメだ! 俺たちは男同士じゃないか。いくら好きでも、そんなのは俺だけの一人よがりな想いだ。俺は失うものなんか何もないけど、室井さんには立場が……』
『でも、こんな風に、まるで誘ってるみたいなことして、室井さんだって俺のこと少しは想ってくれているのかも……』
『馬鹿言うな。そんなわけないだろ。この人が人一倍生真面目で厳格なのは知ってるだろ。俺とは違うんだ。背徳の想いなんて持つはずない』
『だけど、真面目だからこそ気付かないで誘ってるってこともある。この人ってけっこうマジボケかます人じゃないか。気付いてないなら、気付かせてやればいいだろ』
『そうだよ。何きれい事言ってるんだ。告白するつもりで触ったんだろ。拒まなかったじゃないか、この人は。今伝えないで、いつ伝えるんだ。こんなチャンスはきっともう二度と巡ってこないぞ』
俺の脳裏で二つの相反する思いがせめぎ合い、やがて一つに固まっていく。
『勇気を出せよ。仕事の時は迷わないだろ。ここで引いたら男が廃るぞ』
天使か悪魔か、どっちの俺かは知らない。もしかしたらどっちもの俺なのかも。とにかく、俺は内なる欲望に背を押されて、想いを行動に移した。
「……」
室井さんはいつもより大きく目を見開いて、硬直している。
ゆっくり躯を離してもまだ固まったままだった。
「抵抗しないんですね。よかった。殴られるかと想っちゃった」
俺はやってしまったことが少しだけ照れくさくなって、やや軽い口調で訊いた。
「……」
室井さんはまだ放心状態で、俺の言葉が耳に入っていないみたいだった。
やばい。オーバーフローしてる。キャパに余ったか。
「……室井さん? 室井さん?」
俺は凍ってしまっている室井さんを再起動させるために、強い口調で呼びかけた。
「……今のは……何だ?」
瞳にゆっくり光が戻ってきて、まるで自分に言い聞かせるみたいに訊ねた。
「何って……チュウ」
「……」
また、押し黙ってしまう。言葉の意味を噛み締めるように眉間の皺を深くして。
「キスですよ。……いや……でした?」
イエスでもノーでもいい。とにかく結果が欲しいんだ。あんたの気持ちが知りたいんだよ。だから答えて。
でも、返ってきた答えは、そのどちらでもないものだった。
「青島、酒が過ぎるんじゃないのか。冗談は相手を選んで……」
何言ってんだ、室井さんっ!! そんなこと言われるぐらいなら、いっそ一本背追い食らわされた方がスッキリするよ。
「冗談にしちゃうんですか!」
「……」
「俺、真剣なんですよ。今、すっごい、勇気振り絞ったんスから!!」
「……」
「今、俺、心臓バクバク言ってます」
「……」
「なんか言って下さい」
「……」
「黙ってないで答えて下さい」
なんで何にも言ってくれないんだよ。
答えられないなら答えたくなるようにしてやる。
ここまで来たら止められないってことは室井さんが一番よく知ってるでしょ。
「黙ってると犯しちゃうぞ」
俺は、室井さんを強く抱きしめた。
それでも室井さんは抵抗しない。また、凍ってるのか? いや、違う……。これは……。
「室井さん……室井さんの心臓もドキドキしてる……」
室井さんの薄い胸に触れて初めて、この人が俺よりも緊張していたことに気付く。
「君もだ……」
ため息のように吐き出された言葉に、俺の心臓はますます早くなった。
ぴったり合わさった胸から互いの鼓動が伝わる。
ドキドキドキ、ドキドキドキ……。
まるでワルツを刻んでるみたいだ。
そのリズムは乱されることなくでも、だんだん早くなっていった。
「室井さん……いい?」
返事はなかった。でも、もう迷わない。言葉少ななこの人の気持ちは、唇に代わって全身が答えてくれてる。
決心を表すようにそっと閉じられた瞼が、引き結ばれていても微かに震える唇が、普段より高くなった体温が、そして、今も正しく俺と三拍子を刻む心臓が。
俺は逸る気持ちを宥め宥め、そっと唇を重ねた。触れ合うだけの優しいキス。室井さんの心臓が跳ね上がるのを感じた。
嬉しかった。好きな相手にでなきゃ、こうはならない。
唇を重ねたまま、指で髪を撫で耳の形をなぞり首筋へと降ろして行く。その指を胸元のボタンに掛けた。ボタンをはずすと、初めて見る鎖骨が現れた。綺麗だった。今まで見たどんな女の子のそれよりも俺の情欲をくすぐった。
もう止められない。
俺の唇は室井さんの首を這い、鎖骨をなぞり、胸に吸い付いた。
いつしか指は、シャツのボタンをすべてはずしてしまっていた。
胸を這い回る唇は、飽くことなく室井さんの滑らかな肌を貪る。指で躯のラインを辿る。
想像通りの華奢な躯には、それでもしっかり筋肉が付いていて、指が辿り着いた脇には、薄いながらも茂みがあり、この人が明らかに男の人なんだと伝えてくる。
それでも俺の情熱は萎えることなく、ますます激しくこの人を求める。
室井さん! あんたが好きだ!!
俺はありったけの想いを込めてこの人の胸に所有印を刻んだ。
「あ……青島……」
甘い声が聞こえて俺の雄が煽られる。
俺はもっとその声が聞きたくて、少し頭をもたげはじめた胸の突起を舌で転がした。
「!」
室井さんは小さく痙攣して身を捩った。そして、俺の腕から逃れようと身悶える
「あ……乳首(ここ)はイヤですか?」
しまった。すんげーマヌケな質問。でも、嫌がることはしたくない。
「聞ぐな、んなごど!」
室井さんは勢いよく上半身を起こして怒鳴った。耳まで真っ赤にして。言葉も少し訛ってる。可愛い……。
俺はつまらない質問をしてしまったことと、愛らしい姿で睨み付ける室井さんの姿に照れくさくなって、ニッと歯を見せて笑った。
すると室井さんは困ったような顔をして、俺から視線をそらしてしまう。
パアッと俺より白い室井さんの肌が、薄桃色に染まっていく。
「……室井さん……色っぽい……」
こんなこと言ったらきっとまた怒るのは判ってたけど、ホントに色っぽいんだから仕方ない。
「☆▽※×@;!!」
思ったとおり室井さんは、言葉も出なくなるほど激しく抗議した。
何か言おうとして開かれては閉じる唇が、寄せられた眉が、紅潮した頬が、恥ずかしくてたまらないって訴えてる。
ああ……なんで……なんでこの人は、こんなに俺を嬉しがらせることをするんだ。
たまんないよ。あんたが男でも上司でも、そんなこともうどうだっていい。あんたが欲しい。抱きしめたい、キスしたい、ううん、もっとすごいこともしたいんだ!
「俺、室井さんが好きです! もう、我慢できません。ケダモノになっちゃっていいですか」
「なっ……普段がらケダモノみてなもんじゃねが!」
激しい口調だったけど拒まれてはいない。
だいたい、本気で嫌がってるなら俺は今頃タコ殴りにされてる。俺より小さい体でも、格闘技の腕は数段上なんだから。
きっと口下手なこの人にとっては、これが精一杯のOKサインなんだ。
羞恥心でいたたまれないって表情で俯く室井さんの顎に手を掛け、そっと上を向かせる。一瞬、ハッとしたけれど、俺が肩に腕を回して抱き寄せると静かに目を閉じてくれた。
俺は噛みつくようなキスをした。
閉じられたままの唇を、舌で無理矢理こじ開ける。上の歯をなぞると左側の前歯が一本だけ引っ込んでいることが判った。そのまま更に奥を探ると、おずおずと室井さんの舌が俺のそれに絡められた。嬉しくなった俺はなおも貪欲に室井さんの口内を蹂躙する。
何度も角度を変えて接吻を交わしながら、右手で室井さんのシャツを剥ぎ取っていく。
その手で肌理(きめ)の細かい滑らかな胸を思う様嬲った。鍛えられた胸筋の頂点の飾りを人差し指の腹で転がすと、重ねられた唇の隙間からくぐもった声が漏れる。
隙間なく重なった躯の温度が徐々に上がっていき、お互いに相手の欲を煽り合う。
指を下へ向かって滑らせて、形の良い腹筋を味わい、脇腹をくすぐると、室井さんはビクリと身を竦めた。
そっか……ここが弱いんだ。
室井さんの泣き所を探り当てた嬉しさに、指はそこに執拗なまでの愛撫を施す。
いつの間にか俺の肩に回された室井さんの腕に力がこもった。
もっと……もっと俺を感じて……。
更に指を下方へ進ませ、ズボンの上から太股を弄った。
内側へ指を滑らせていくと
「あ……」と、室井さんの唇から普段からは考えられないような甘い声が漏れた。
そのことに室井さんは戸惑いの表情を見せる。
室井さん……。胸が痛いよ。今、俺、ずげー幸せなのに……なんでこんなに胸が苦しいんだろ……。
俺は自分が笑っているのか泣いているのか、わけがわからなくなって、大好きな人を胸に掻き抱いた。
「室井さん……」
溜息みたいな声で愛しい人の名を紡ぐ。
「あ……青島……」
室井さんの顎が俺の肩に乗せられ、背中に腕を回して抱き返してくれた。
堅く抱き合ったことで、室井さんも俺を求めてくれていることが、触れ合った腰にダイレクトに伝わってきた。
「室井さん……」
俺は室井さんのベルトのバックルに手を掛けた。
「! 青島」
手早くベルトをはずし引き抜く。
「あ、青島……」
ズボンの留め金をはずして、ファスナーを引き下ろした。
「……青島」
そして、ズボンを下着ごと脱がせようとしたとき、
「返事しろっ! 青島っ!!」と、突然待ったが掛けられた。
「へ……呼んでたんですか?」
「後ろ!」
「えっ?」
「後ろだ。離れろ!」
え? なに? もー、止められないのに……。後ろって何よ。まさかお尻のことじゃないよね。室井さんがそんな積極的なこと言うわけ……。
そんなことを考えながら、渋々躯を離し、室井さんの視線の先を振り返ると。
「あーっ! 鍋!!」
卓袱台の上で土鍋がモクモクと仄黒い煙を上げていた。
勢い余ってことに至ってしまったものだから、コンロの火が点きっぱなしだったことをすっかり忘れていた。
「室井さん、火消して、火!」
俺は慌てて素手で土鍋を持ち上げてしまった。
「ぶ、わぁっちぃ!」
「青島っ! 手は大丈夫か」
室井さんが心配そうに俺を見た。
嬉しかったけど、そのときの俺にはただ情けない顔をするしかできなかった。
だって……。
「俺は大丈夫っスけど……あの……鍋が……」
「あーっ!」
俺が取り落としたせいで、鍋はキッチンのフローリングまで転がって、見事にまっぷたつに割れていたんだから。
「買ったばかりだったのに」
ははは……高そうな鍋だもんな。怒られても仕方ない。
「……すいません……」
俺は素直に謝った。
「もういい。壊れてしまったものは仕方がない」
「でも、おニュウだったんでしょ」
「君が来ると言うから……」
え? マジ?
「わざわざ俺のために?」
「勘違いするな! 鍋がなかったから買っただけだ。きりたんぽ食わす約束だったからな」
「室井さん……」
やっぱり、あんた最高だよっっ!!
「かわいいっ芥」
俺は室井さんを力一杯抱きしめた。
「ば、ばか、離せ」
「やだ」
室井さんは俺の腕の中でジタバタともがいた。でも、離して上げないよ。本気で嫌がってるわけじゃないことはちゃんと知ってるんだから。
「室井さん芥」
室井さんは唇を尖らせて俺を睨んだ。そんな顔したってダメ。俺はもう、あんたの気持ち判っちゃったんだから。
「続きしよ」
「えっ?」
びっくりした顔してる。でも、逆効果だよ、室井さん。だって俺はあんたのその顔がとっても好きなんだから。
俺は室井さんを畳に押し倒すと、馬乗りになって、さっき脱がし掛けていたズボンを下着ごと引き下ろした。
「やめろ、青島! このケダモノ!」
「ケダモノだもーん」
俺は裸の室井さんの内股を弄り、萎えてしまっている中心に手を触れた。
「ば、ばか、そんなとこ触るな! あーっ!!」
室井さんは真っ赤になって頭を振る。
たまんないよ……。なんてステキなんだ、あんた。
夜はまだまだ長いんだ。教えて上げるよ、ゆっくり。俺がどれくらいあんたに夢中なのか。だから、あんたも気が付いて。俺を好きだってことに。
俺はだんだん息が上がっていく室井さんを、優しく抱きしめた。
「あ、あお……しま……」
室井さんは頬を染め、消え入りそうな声で俺を呼ぶ。
「電気……消して……くれ……」
え?
「明るいのは……ダメ……だ……」
それって……。
俺は素早く部屋の隅まで駆けていって、部屋の灯りを落とした。
室井さんは側に戻ってきた俺に、手を伸ばす。
俺はその手を取り、自分の首に回させた。
「好きです、室井さん」
耳元で優しく囁く。
「……知ってる……何度も言うな」
溜息の混じった声でそう返されると、俺の脳髄はとろけそうになった。
俺たちは互いの思いを確かめ合うように、しっかり抱き合った。
愛してる……、誰よりも。世界中で一番。
俺はその想いを唇に託して優しく深くキスをした。
俺たちの始まったばかりの恋が夜の闇に溶けていった。




室井編へ続く




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