身を焦がすような恋。 まさかそれが自分の身の上におこるとは思ってもみなかった。 彼は凍りついた私の日常にある日突然あらわれて、小さな風を巻き起こした。 風は暖かく凍てついた氷も柔らかく溶かしていく。 溶かされて剥き出しになった私の心にも風が吹き抜けた。 風は私に迷うことを思い出させた。 風は教える。 迷うことは正しい、目を閉ざすなと。 私は風を見つめ続けた。風の囁きに耳を傾けた。 風は私を試した。何度も何度も。 汚れた私を洗うように暖かく眩しく吹き抜けて。 そして言った。 「わかる。この人はわかるよ」 こともなげに。 まるでそれが当たり前のことだとでもいうように。 私は……私だけは他の誰とも違う「特別」だとでも言うように。 そして私は恋に落ちた。 |
私たちはセックスをする。 会う度に。 初めのうちはお互いの距離を確かめ合うための行為だった。 私は指で舌で、彼が確かにここにいることを確かめる。 彼もまた同じように私に触れる。 その悦びが肉体の快楽に変わったのは一体いつからだったか……。 彼と出会う前の私は、欲望を満たすことに臆病だった。 初な生娘ではないのだから、それを罪悪とまでは感じてはいなかったが、人に誇れることではないと思っていた。 むしろ欲を殺し、静謐であることこそが美徳だと信じていたのだ。 だから、友人の誰かに恋をし、どうすれば手に入れることが出来るかなどという話を聞いても、私には他人事にしか感じられなかった。 「彼女が欲しいんだ、彼女でなけりゃだめなんだ」 頭では理解できても、心では友の苦しみを感じることが出来ない。 それどころか、くだらないとさえ思っていたのだ、酷薄にも。 「けっきょく、ヤリたいだけなんだろ」 そう言って傷つけてしまったこともあった気がする。 その私が今、コートを脱ぐのももどかしく、玄関先で恋人と縺れ合っている。 恋人……。 そう呼ぶのは相応しくないかもしれない。 「愛」というものがどういうものかは知らないが、かつての友の言葉を借りて「欲しい」と思うことがそうだとするなら、私は彼を愛している。 快楽を分かち合う愛欲の対象としてだけではなく、共に戦う同胞としても。 しかし、彼も私に同じ気持ちを抱いていてくれるのかは、甚だ疑わしい。 彼は何度も私に「好きだ」と囁いた。 今も、背筋をくすぐるような艶めかしい声で何度も何度も繰り返している。 だが、それは、閨の中での睦言にすぎない。 指で愛撫をするように、舌で舐めるように、相手を、自分を、より高みへと導くための手段でしかない。 なのに私はその囁きに感じてしまう。 嘘かもしれないと思っているのに……。 「好きです……室井さん……」 彼の囁きが私の五感を支配する。 私は両の腕を 彼の背に回し強く抱きしめた。 そのせいで、接合部分がひきつれ、鈍い痛みが走った。 けれども、躯の奥にそれをも凌駕する快感が沸き上がる。 息が止まるかと思うほどのその感覚で、彼の名を満足に呼ぶことも適わなくなった。 「はっ……あ、あお……ああ……」 最早私は、ここが何処かということも、コートどころか靴下すら脱がされていないことも、どうでも良くなっていた。 もっと……もっと快楽を感じたい。 私の躯は、乾いた砂が水を吸うように、貪欲に快感を欲しがった。 彼の腰がゆっくりと律動を繰り返す。 その度、私の中の彼が、もっとも敏感な部分を柔らかく擦り上げ、じわりと痺れるような快美感が溢れ出した。 それは私から思考力を奪い、迷いも疑いも麻痺させていく。 溺れるとはこういうことかと、ふと思うが、それも一瞬のことで、突き上げられると意識は快楽のみに染められた。 時折耳に彼の荒い息がかかる。 それは触覚からもだが、それ以上に精神的に私を悦ばせた。 彼も感じているのだ。この私で。 百万の言葉で愛を語られるよりも確かな証だ。 その錯覚が更に私の欲に拍車をかける。 私はもう、彼の律動だけでは満足できず、両足で彼の腰を挟み込み、自ら腰を振っていた。 彼のリズムと私の揺れがもたらす相乗効果で、激しく深い喜悦の波が押し寄せる。 次第に膨らんでいく彼の情熱の切っ先が、小刻みに私を擦り押さえつける。時に強く、時に柔らかく。そして私は恍惚の深みに堕ちていく。 耐え難い快感に私は思わず彼にしがみついていた。 にもかかわらず、腰の動きは止まるどころか、狂ったように早くなって行くばかりだった。 「む、室井……さ、ん……」 呻くような彼の声が聞こえる。 そのとき吐き出される吐息が耳朶を甘くくすぐる。 私は獣のように腰を振り続ける。 本来、雄が生殖のために使う器官ではない部分の快楽を欲しがって。 呼吸は浅く早くなり酸欠に近くなっていくのに、それすらも心地よく感じてしまう。 ……イイ……。 もっと……もっと欲しい……。 それを伝えるため、固く閉じていた瞼を開くと、彼の困ったような顔が視界に入った。 彼は薄く苦笑して、片手で私の欲深な腰を押さえつけた。 「あっ……うっ……」 突然、快楽を追うことを阻まれて、喉の奥から不満の声が漏れる。 「青、し……ま……。な、んで……」 それには答えず、彼は私の両足を器用に肩に担ぎ上げ、完全に私の自由を封じてしまった。 しかし、そのせいで若干浅くなった接合が、今まで以上に確実に私の弱い場所を捕らえている。 摩擦はなくとも、力を持ち続ける彼の分身が私を圧迫し、鈍いながらも震えるような陶酔感が湧き起こる。 だがもう、私の躯は、そんな弱い刺激では満足できないところまで追い込まれていた。 焦らしているのか? そんなことしなくても私はお前が欲しくてたまらないのだ。 でも、それは言葉にならなかった。 彼が私の唇を塞いでしまったからだ。 体重をかけて無理に折り曲げられた体は、節々がきりきりと痛んだが、口中を這い回る彼の舌が、ゆっくりと奥へ侵入してくる彼の怒張が、そんなことは忘れてしまえと誘惑する。 そのくせ私が欲しいと思っている快楽は与えてくれようとはしない。 頭に来た私は、彼の唇を思いっきり噛んでやった。 「っ……」 唇を離した彼は、仏頂面で私を睨む。とても不本意だというように。 口の中に広がった錆臭い血の味が、私の攻撃本能に火をつけた。 私は挑むように彼を睨み返す。 すると彼の険しい顔が途端に崩れ、叱られた仔犬のように情けなく歪んでいく。 「ちぇ……酷いっスよ、室井さん」 何が酷いものか、舌打ちしたいのはこっちの方だ。 まだ若いくせに、ジジイみたいに勿体つけやがって……。 私が腹を立てているのを悟ったのか、彼はしどろもどろに言い訳を唱えた。 「……だ、だってさ……室井さん……上手すぎるんですよ……」 は? なんだそりゃ? それは悪いことなのか? 言ってる意味がわからない。 一体何が言いたいんだ。 「そりゃ、俺だって、気持ちイイのは大好きだけど……」 なら文句言うな。 自慢じゃないが、俺だって、お前をイカせる自信はある。 実際、よがっていたじゃないか、さっきまで。 「……あんま、良すぎるってのも……」 柄にもないことを……。 熱でもあるんじゃないのか? 「……だって……だってさ……」 なんなんだ? 「じゃないと、俺……」 ええーい、焦れったい。 さっさと結論を言え! 「あんたより先にイっちゃいそうなんだもん<」 顔を真っ赤にしてそう怒鳴ると、彼は上体を倒し、私から顔を隠すように額を床に打ち付けた。 その動作が私に快感を与える結果になることには、どうやら頭が回っていないらしい。 「……ばか、やろ……」 悪態をついてはいるが、怒りはなかった。 このどうしようもなく愚かで身勝手な男が、愛しくてたまらなかったのだ。 私はバカな恋人の髪を梳くように撫でてやった。 「……ごめん……ね……」 何を詫びているのか、彼はか細い声で呟いた。 「なんか……いっつも、自分ばっかでさ……」 ……バカだ。ホントにコイツは何も判ってない。 「そんなのは、俺も同じだ……」 そう言って私は彼の耳を甘く噛んだ。 早く俺をもっと快くしろ。 私の意を汲んだのか、それとも自分が耐えきれなくなったのか、彼の腰が再びゆっくりと動き出した。 どちらでもよかった。私はもっと感じたいのだ、彼で。 四肢の自由をほとんど封じられ、私は快楽を彼に委ねる他はなくなっていた。 自分のペースに持ち込んだことで、自信を取り戻したのか、彼はいつもの精悍な顔で私を見下ろしている。 だが、頬は紅潮し、明らかな快楽の色が浮かんでいる。 吸いつきたくなるような厚い唇は薄く開かれ、時折覗く舌が私を誘う。 そして私は、彼の中に自分を見る。 私もきっと、こんな風に、お前を誘っているんだろうな……。 そう思った瞬間、ひときわ深く穿たれた。 「はぁっ、ああっ!」 私は顎を反らせ、快感を声にしていた。 体内の性感帯がきつく押さえつけられ、絶頂にも似た愉悦が襲いくる。 しかしそれは長くは続かず、彼の腰が浅くなると潮が引くように遠くなった。 彼は、味をしめたように何度もそれを繰り返した。 ただし、私がもどかしくなるほど遅いスピードで。 熱くなった躯は、もう耐えきれないと泣きわめいていた。 意識は白濁し全身の感覚がなくなる。そのかわり、そこだけは五感の全てが集まっているかのように敏感に彼を感じている。 欲しいのに与えられない苦痛が、快楽を増幅させるのだ。 私は唯一自由な左手で彼のコートの袖を掴み、先を強請った。 それでも彼は私の要求を受け入れてはくれなかった。 あくまでも自分のペースで私を翻弄する。 焦れるほどゆっくり分け入ってくると、強い力で擦りつけあっという間に逃げていく。 摩擦を感じた刹那はそのまま達してしまうのではないかと思うほど気持ちがいいのに、次の瞬間にはもうその感覚はなくなっている。 快感が強ければ強いほど喪失感は大きく、そしてそれが次の悦楽を深くする。だが、短すぎる刺激がイクことを許さない。 たまらない……。 どうにかなってしまいそうだった。 なのに私はどこかでこの焦れったさを愉しんでもいた。 早くイキたいと思う欲と、ずっと繋がっていたいという想いがせめぎ合い、それが私の触覚を鋭敏にする。 そしてそれは、見栄も恥も自尊心も、あらゆる私の理性の仮面を全て剥ぎ取ってしまった。 いや、そんなものは、初めからないに等しかったのだ。 どんなに体裁を取り繕っても、私が彼を公私ともに欲しがっていることは、まごうかたなき事実なのだから。 私は赤裸々に彼を誘う。 快楽に忠実に声を上げ。 もっと、もっと私を欲しがれと。 お前が私を本当に好きかなんてどうでもいい。 私がお前を愛しているんだ。 身を焦がすような恋。 よもや自分にはおこりえないと思っていたそれに私はいとも簡単に呑み込まれた。 かつて軽蔑した友が、今、私を嗤っているのが聞こえる。 しかし、それでもかまわない。 欲しがることは決して恥ではないと解ったからだ。 それは他の誰でもない、目の前の、愛しくてたまらないこの男が教えてくれた。 満たされた気持ちで見つめる私に、年下の恋人は、はにかんだ笑みを返す。 それは私を幸福にする。 この顔のためならなんでもしてやろうと錯覚させるほど。 私はその気持ちのままに彼を抱きしめた。 |
──わかる。この人はわかるよ。 お前はそう言ったっけな。 当たり前のことのように簡単に。 だけど、お前はたぶんわかってない。 私がお前を愛しているってことを。 |