《2038年 春》

「見てくれたまえよ、この桜の森を。美しいだろう?」
セルバンテスが誇らしげに言う。
なるほど言うだけのことはある。ソメイヨシノからヤマザクラまで、ありとあらゆる種類の桜が競い合って咲き誇っているのだから。
「君に見せたくて植林したんだ」
全ての樹が一つの株からのクローンであるソメイヨシノは根付きにくい。それをここまでにするのは並大抵の苦労ではなかったろう。尤も奴は、金を出しただけで、手をかけたのは職人なのだろうが。
しかし私に見せるためだけに、ここまでとは、毎度ながらご苦労なことだ。
「一体いくらかけたのか……」
つい、口をついて出た言葉にセルバンテスはさらりと言ってのける。
「ざっと見積もって、一億ってとこかな」
「一億!? 阿呆か、貴様はっ!! そんな無駄金使いおって」
「無駄金じゃないよ! 私にはそれだけの価値があるんだ!! 君が喜んでくれさえすれば」
言い返されて一瞬言葉に詰まった。そこまで想われることに悪い気はしない自分が忌々しかったからだ。
「……植えてしまったものは仕方がない。ここは貴様の好意を甘んじて受けるとしよう。桜に罪はないのだしな」
「そうそう。じっくり楽しんでくれよ。今が盛りなんだから」
「それにしても……見事なものだな」
桜たちがここへ来た経緯はどうあれ、美しことに変わりはない。私は素直に感想を述べた。
すると奴は、我が意を得たりというように
「だろう。これなんか樹齢千年の古木なんだよ。それでもこんなに美しい」と自慢げに言い、ひときわ大きなヤマザクラの前に立ち花を見上げた。
それは大輪と言っていいほどに、白に近い薄紅色の花を満開に咲かせていた。
満開の大樹の前に立つ白ずくめの男。そよ風になびくクフィーヤ。
黙って立っていれば少しは絵になる風景だ。口を開くと姦しいことこの上ないが。
そのとき、豪と春一番のような強い風が吹いた。
散る。花びらが散る。風に舞う。
奴のクフィーヤがはためく。
まるで吹雪のように散りゆく花弁が、奴を覆い尽くし、私の視界からその姿を消し去る。
「セルバンテスっ!!」
私は思わず奴に駆け寄り、強くその腕を掴んでいた。
「どうしたんだい? アルベルト。そんな切羽詰まった顔をして?」
「……い、いや……なんでもない」
一瞬、奴が桜に覆われて、その花びらと化し一緒に散ってしまうのではないかという錯覚を憶えたのだ。
馬鹿な……。気の迷いだ。
桜の根元には忌みが埋まっているという。そんな伝説が私に見せた幻だ。
私ともあろう者が、何たる失態。
しかし……何故……この不安は消えぬ?
「セルバンテス……」
「何?」
私は感情にまかせ、奴の背を古木に押しつけ、噛み付くように口づけた。
「んっ……ホント……どうしたの?」
「五月蠅い。黙れ」
「うん。わかった」
私は奴の、額に、瞼に、頬に口づける。
そうして、もう一度唇を吸う。
見るがいい、千年の古木の精よ。こやつは誰にも奪いはさせん。
例え貴様が咲き誇り散りゆくとも。この世の全ての桜が散ろうとも。私のこの桜だけは散らしはせん。


風に散りゆく桜の元、私たちはひとつになった。






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