浴室の扉を開け真っ先に目に飛び込んできた光景に私は唖然とし立ちつくしてしまった。
「なんだ……これは……」
「どうしたんだい?」
後ろからついてきていたセルバンテスが私に問いかける。
「貴様、いつもこんな風呂に入っているのか?」
広さだけなら私の屋敷のものと大差はない。
富裕層ならばこれくらいは当然だという大きさだ。
浴槽の縁が黄金色で装飾されているのも、成金のこいつならばあり得ることだと予測も出来た。
しかし……。
なみなみと湯が満たされた水面を埋め尽くすように散りばめられた花びら。色とりどりの薔薇とおぼしき花びらには絶句するしかなかった。
強すぎる薔薇の芳香にもくらくらする。
こいつが見かけによらぬロマンティストだということは良く知っている。
だがいくらなんでもこれは……。
「少女趣味が過ぎるぞ、貴様」
「ああ。バラのこと。それは、君が来たから用意させたんだよ」
薔薇の香りのせいだけではなく頭が痛くなった。
こいつは今日のこのことばかりではなく、いつもいつも手を変え品を変え私の機嫌を取ろうとする。理由(わけ)は判っている。が、それらの多くは的を外している。
薔薇も、そのひとつの良い例だった。
美を愛でることはけして嫌いではないが、過ぎたるは及ばざるがごとし。何事にも限度がある。多ければ良いというものではないだろう。
だいたい、こんなに湯が薔薇まみれでは何も出来……な、何を考えているのだ私は。何も出来なくて良いではないか。
私の逡巡を気分を害したと受け止めたのか奴は、
「バラ、嫌いだった?」と、お伺いを立ててくる。
その表情は叱られた飼い犬のようで、文句を言う気が完全に失せてしまった。
「特別好きでもないが、嫌いでもない」
私がそう告げると途端に向日葵が咲いたような笑顔になった。
ふん。現金な奴め。
しかし。
この表情は嫌いではない。特別好きなわけでもないが。
私はもう躊躇わず浴室に入り、ゆっくり湯船に体を浸した。
ふむ。なかなか良い湯加減だ。
「あ゛〜〜〜」
疲れた体に湯が染み入り思わず声が漏れる。
「ぶっ」
セルバンテスの奴の吹き出す声が聞こえた。
「なんて声出すんだよ。おっさんみたいだよ」と奴が言う。
失敬な。
私はムッとして奴を睨んだ。
「もう、ワシはおっさんだからな」
「まあまあ、そう言わないで。君がおっさんなら、私もおっさんじゃないかね」と言いながら奴は当たり前のように私の隣に入ってきた。
こんなに広い浴槽なのだから、もっと離れた場所に浸かればいいものを。
そう思うが、どうせ碌でもないことを目論んでいるのだろう。ならばこの距離は当然かと納得する。
「あ゛〜〜〜」
「ぶっ」
私と同じような声を上げる奴にうっかり吹き出してしまった。
「貴様も充分おっさんだな」
おっさん二人が薔薇の湯に浸かる様というのは、第三者から見ればどんなに滑稽に映るのだろうかとふと思うが、馬鹿馬鹿しいので考えるのをやめた。
私が目を瞑って湯を堪能していると
「くすくす」と奴の笑う声が聞こえてきた。
「なんだ?」
「いや、ずいぶんお風呂、気に入ってくれたんだな〜って思ってさ」
「なにが?」
「気がついてなかったのかい? 鼻歌唄ってるよ、君」
なんということだ。
奴がこんなに接近した場所にいるというのに気を許しすぎた。
これでは何でもしてくれと言っているようなものではないか。
「……アルベルト……」
奴が私の耳元に唇を寄せる。
そら来た。
私は慌てて身を翻し奴から距離を取った。
だが、奴はそんな私を深追いするでなくにっこり笑って、
「可愛かったよ〜」とふざけたことを言った。
この十傑集最強の漢、衝撃のアルベルト様に向かって『可愛い』だと。
些か腹は立ったが奴の暴言はいつものことだ。それに奴にしてみれば、恐らくそれは褒め言葉のつもりなのだろう。
私は奴を無視して湯から上がり洗い場に向かった。
すると
「あ、待って」と奴が追いかけてきた。
「髪、洗ってあげるよ」と言う。
髪か……。
髪だけでは済まないような気もするが……奴には何度か髪を洗わせたことはある。だからその腕前は熟知している。私の特殊な髪型も手際よくセットする能力も有している。
「よかろう」
暫く考えて私はそう許可を出し鏡の前に座った。
「やった」
奴は嬉しそうにそう言って、入浴時いつも私が被っているシャワーキャップを厳かに外した。
それから
「シャワーで流すよ〜。目瞑って」と言う。
言われて私は目を閉じる。
調度良い湯加減の水流が頭上から流れ落ちた。
それと同時に奴の手が私の髪を掻き混ぜる。
髪の毛一本一本まで湯が行き渡っていく。
暫くすると湯の流れが止まって、代わりに奴の両手が私の頭に添えられた。
シャンプーを馴染ませているのだろう。
やがてシャワシャワと微かな音が聞こえ始める。
そして湯を流したときより若干強めの刺激を感じた。
何の為なのかいつも綺麗に手入れをした爪の指先で、頭皮を擦られるのはかなり気持ちが良かった。
「お客さん、痒いところはありませんか〜?」
冗談めかして奴が問う。
だが、この腕前でそんなところがあるはずもない。
このまま眠ってしまいそうなほど心地が良いというのに。
私が返事をしないことにも奴は気にする風もなく、魔術師のような指で私の頭皮を刺激し続ける。
一種の快感だった。
「泡、流すよ〜」
奴の声が聞こえた。
続いて
「トリートメントするからね〜」と言う。
再び頭から湯が流された。
奴はゆっくり優しく私の髪についた泡を洗い流していく。
流し終わると生え際にトリートメントが塗られていくのを感じた。
それからそれが髪全体に伸ばされた。
それが終わると奴は、先程髪を洗ったときのように、私の頭皮を優しく揉んだ。
マッサージを施しているのだろう。
これがまた、得も言われぬ快感だった。
「ほう……」
知らず溜息が漏れた。
「気持ちいい?」
「ああ」
今私は完全に無防備だ。
それは判っていたが、どうにもこの心地良さからは逃れられなかった。
私が快楽に浸っていると、無情にも終わりの言葉が告げられた。
「はい。流しま〜す」
「え? もうか?」
言って、しまったと思ったが後の祭りだった。
奴が喜々とした声で
「え? そんなに悦かった? 光栄だなぁ」と述べながら髪の余剰トリートメントを何やら含みがあるような手つきで流したのだ。
そしてそのままの勢いで
「じゃあ、躯も洗ってあげるよ」と私の髪の水分を乾いたタオルで拭きながら言った。
「いらん」と断ろうとしたのだが、いつの間に用意したのかボディシャンプーをたっぷり含ませたスポンジを、私の首筋から肩口、二の腕へと器用に滑らせ始めたのだ。
その腕前は頃合い加減を知っていて、逆らうことが出来ないほどの心地の良さだった。
しかも私は、気付かない間に真新しいシャワーキャップまで被せられていたのだ。
何という手際だ。
「やっぱり、お風呂の君は、これ被ってないとね〜」
などと嘯くほどだ。
嵌められた。
あれだけ警戒していたというのにこのざまだ。
まったくこいつの抜け目のなさには舌を巻く。
「ふ〜んふ、ふふふふふ〜ん♪」と、今度は奴が鼻歌を唄いながら、私の背中を上から下へと擦っていく。
くそう。
いや、しかし、ここまでだ。
手が前に回ったら取り返しがつかない。
それだけは阻止せねばならん。
ところが、奴の手が(というかスポンジが)腰の辺りまできたところで動きが止まった。
いよいよか。と身構えたがそうではなかった。
なにやら淋しげな声で
「この傷……」と奴は呟く。
そういえば先の出撃の折、そんなところに傷を負わされた記憶はある。まあ、掠り傷だが。
「……私の知らない傷だ……」
その声は小さく力のないものだった。
「そうだろうな。あの任務はワシ一人で充分だったからな」
「そんなこと言って、怪我して帰ってきてるじゃないか」
心配気に奴は言う。
普段は女子供のような非戦闘員でさえ、笑って虐殺するような男だというのに、私のことになるとこんな掠り傷でさえ心を痛めるようだ。
私は宥めるために言った。
「命懸けの戦闘だ。このくらいで済めば御の字だろうが」
「それはそうだけど……君にそこまで言わせるなんて……あいつとやったのかい?」
気にするところはそこだったか。
『あいつ』というのが誰を指しているのかは判っているが、敢えて名前は出すまい。お互い不愉快になるだけだ。
「ワシにとっては闘えるなら誰でもかまわん。強ければ問題はない。なんなら貴様と闘っても良いぞ」
ニヤリと私は笑って見せた。
そうだ。私の背中を任せられるこいつとなら、さぞや面白い闘いになるだろう。
「くっ……はははは……それは楽しいだろうね。でもBF団は私闘は禁止だ。残念」
奴に笑顔が戻った。
良かっ──
──いやいやいや。何を考えている。
奴の機嫌などどうでも良いではないか。
しまった。またやられてしまった。
私は何度この手に引っかかれば……。
……まあいい。
もうどうでもいい。
そもそもこいつと風呂に入るという段階で何もかも終わっているのだ。
好きにすればいいだろう。
私はそう腹を括った。
「次は前だ。ほれ、洗うが良い」
私は奴の方に向き直った。
「は〜い」
奴は嬉しそうにスポンジで私の体を擦り始めた。
耳の裏から首筋、鎖骨から胸板へと手を進めていく。
ふと、アレのときと同じ手順だななどと思う。
そう思ったとおり奴は胸板をことさら丁寧に洗っている。
ところが、念入りに擦られるだろうと予測していた場所は、さらりと触れただけで通り過ぎ、腹筋を洗い出したのだ。
そうか、そうか。そこは後の愉しみにでも取っておくのだな。
腹筋も臍も洗い終わったら、奴は私の内腿を擦り始めた。
いよいよか。
まあ、暫くはここを擦るだろう。奴は焦らすことが好きだからな。
そう思っていたというのに、奴は両腿を洗い終わったら、さっさと脹ら脛に移り、足の指や足の裏を洗い出した。
え?
肩透かしを食らったような気分だった。
そうしてそれを終えると奴は私にスポンジを渡し、
「はい。大事なところは自分で洗ってね」と言った。
えええええええ〜!?
「何故、何もせんのだっ!?」
ガタンと大きな音を立てて私は椅子から立ち上がり、奴を怒鳴りつけていた。
「え? え?」
私の豹変に奴はポカンと口を開いて私を見つめていた。
それは私を益々イライラさせた。
「さては貴様、『眩惑のセルバンテス』ではないな」
私の知っている眩惑の漢は、これほどの据え膳をみすみす逃すような真似はしない。
「は?」
奴はわけが判らないという表情をしている。
わけが判らないのはこっちの方だ。
それから奴は
「え? もしかしてしたかったの?」と、阿呆なことをほざきおった。
カチーン!
鶏冠にきた。
「そんなわけがあるかっ!!」
風呂中に反響する声で怒鳴っていた。
「じゃ、じゃあ、なんで……」
なんで怒っているのかだと!
そんなもの判り切ったことではないか。
「貴様が貴様らしからぬことをするからだろうが!」
それを聞いてもまだ奴は呆けた顔をしたままだった。
私は怒りにまかせて最強の水流のシャワーで体中の泡を流し、奴にシャワーのコックを投げつけて、
「貴様もとっとと体を洗え! ワシは先にベッドで待っておるからな。あまり待たせるなよ。十分で来なければ殺す!!」と言い放ち、振り向かず足早に風呂を後にした。
奴が何か言い募る声が聞こえたような気がしたが、そんなことは知ったことか。
ん?
何か可笑しいか?
そんな気が頭をよぎったが、どうでもよかった。
早く来い、セルバンテス。
今夜は私を愉しませなければ本当に殺すぞ。




【コメント】
この作品は、常日頃から仲良くしていただいている某GRサイトのオーナー様のお誕生日プレゼントとして、リクエストをいただいて書かせてもらったものです。
因みにお題は『盟友二人でお風呂。でもHはなし』というものでした。
我が社にお越しの方は、この18禁の少なさに、私が18禁を書くのは苦手だということにうすうす感づいておられると思いますが、それは正解です。
ですからこのお題は正直大変ありがたかったです。
でもまあ、たとえHシーンがなくとも盟友で書くわけですからラブラブな感じは出したいと思ってがんばってみました。
いかがでしたでしょうか。面白かったですか?
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。


<<戻る


inserted by FC2 system