「正しいことをしたけりゃ、偉くなれ」 青島と室井は、和久氏のこの言葉を信じて、日々闘っている。お互いの夢に向かって。 そんな二人に私はエールを送る、ブラウン管の外から。 だが、実のところ私は、この言葉には些かの疑問を感じているのだ。 「正しいこと」って何だ? それは一体誰にとってだ? と。 青島と室井が目指す警察組織を実現するためには、確かに和久氏の言うとおり、偉くなるのが一番の早道だ。これは間違いではない。 しかし、二人の望む組織体型は必ずしも「正しい」とは言い難い。 「踊る大捜査線」で物語の中心になっていた所轄のノンキャリアたちには、仕事がやりやすく自分たちに都合の良い、素晴らしい正義のように思えるだろうが、そのノンキャリを上から動かす管理職のキャリアにしてみれば、今まで以上に処理しなければならない事柄が増え、機械的に事務的になど出来なくなり、とてもじゃないがキャパシティにあまるなんて状態になるのではないかと危惧するのだ。 今の書類先行の指示系統が必ずしも正しいとは思わないが、でも、この状態になったのには、それなりの経緯があるのだろう。長い間に培われた経験が、現行の規律を生み出したのだから、昨日今日警官になったばかりの青二才に云々されるのは、辛酸をなめつつ上に登ってきた幹部のお歴々には、腹に据えかねるものがあっても然りだと思うのだ、私は。 そう考えると、「正しい」とはいえなくなる。 でも、それをするために室井は上を目指している。 そしてその方法は、可能を「正しい」、不可能を「間違い」と仮定するならば、正しいことだ。 しかし、前述のとおり二人の目指すものが「正しいこと」でない以上、和久氏の言う「正しいことをしたけりゃ、偉くなれ」もあやしくなってくる。 「偉くなること」は間違いではない。 だが、偉くなって出来ることは「正しいこと」ばかりではないのだ。 そして、「正しいこと」というのは、人それぞれで、立場が違えば中身も変わってくる。 警察組織の改革も、絶対普遍の「正しいこと」ではない。 だから、この言葉は正確にはこう言うべきなのだ。 「やりたいことをしたけりゃ、偉くなれ」。
2001年05月25日(金) |
名前のつけられない気持ち |
愛だの恋だのじゃなくて、結果が必要じゃなく、ずっと続く気持ち。 そういう気持ちで誰かを想えればいいなあ。 そんな風に誰かから想われたい。そしてそれが相思相愛ならもっと良い。 そのずっと続く気持ちは、いつか水みたいな空気みたいな、あって当たり前普段はその存在も忘れてる、だけどないととっても困る。 そういう名前の付けられない気持ちを、それを欲しいことが伝えたくて私は物語を書いている。 「やおい」を書いたのは青×室が初めてだけど、それ以前から、私にとって書きたいことはいつもそれだった。 お話ごとにそれぞれ違う事件やエピソードを盛り込んではいるが、それらを削ぎ落とした後にあるものは、私が愛したキャラクターたちが、空気みたいなその気持ちで繋がっていたら……と願う気持ちだった。 現実世界で、欲しいけれどなかなか手に入らないそれを、自分が創り上げる虚構の世界で昇華しようとしているんだろうと思う。 色恋が人生で一番大切で最優先事項であるとは、ラブストーリーを綴っているくせに、残念ながら思ったことはない。 恋なんていうものは所詮錯覚で、ただ一瞬のきらめきでしかないことを知っているからだと思う。 だからと言って「愛」ってなんなのか未熟な私には全くわからない。 では「友情」なら? 友達なら一生続くんだろうか? それも違うと思う。 昔は友情は永遠に色あせないなんて幻想を抱いていた。 でも、三十年以上人間やってきて、その間にいろいろな人と付き合って、裏切られたり傷つけられたり、逆に私の方が裏切ったり騙したり、腹に据えかねて絶縁したり。 親友だと思っていてもそれはただの独り相撲で、相手は私を歯牙にもかけていなかったり、あるいは、たとえ相思相愛でもわずか数年連絡を取らなかっただけで、ただの知り合いに成り下がってしまったり。 この世に「永遠」なんてものはないことを思い知らされた。 それなのに、何故、「かわらない気持ち、ずっと続く気持ち」を求めるのだろう。ありもしないのに。 いや、ありもしないことを知っているから、虚構の世界で描くことを選んだんだ。 そしてその方法の一つが「青×室」だった。 「やおい」は男と男というだけで、ごく普通のラブストーリーとなんら変わらない気はする。 青島と室井の間にあるものは「恋」だ。 だから「永遠に続くもの」からは遠く離れたところにある。 そういう風に読者に伝わるのは、私の物語がまだ「恋」しか語っていないからだ。 だけど、本当は、この二人の間には「恋」という言葉では納まりきらない何か複雑なものがあるような気がする。 それは最初に書いた「名前の付けられない気持ち」に非常に近いように思うのだ。 遅筆だけれど、もっとたくさん青×室を書いて、ラブストーリーではもうやることがなくなったら、その果てに、うちの青×室はやっと、その「名前の付けられない気持ち」の状態に辿り着くのではないかという気がしている。 そう、まるで、何十年も連れ添った夫婦のように。 そこへ至るのに私はどれだけかかるだろう。それまで書き続けることが出来るのかもわからない。 でも、いつか出来ればいいなと心から思う。 そのために、もの書いているのだから。
「いつまでも変わらぬ君で……」というのはラブソングなどで良く聴くフレーズだが、これはじっくり考えると、実に自分勝手で横暴な言い種だと思う。 人は日々学び成長し変わっていくのが自然な姿なのに、それを許さないとは。 そして、室井慎次という人は、それを青島俊作に願っている人だ。 もちろん面と向かって口には出さないけれど。 ついさっきまではそのことをたいしたこととは思わなかった。それどころか、ラブストーリーを展開させる上で非常に都合が良いとさえ思っていた。 でも。 良く良く考えてみると、なんだかとんでもない要求のように思えてくる。少なくとも自分がそんなことを言われたら、 「そんなこと請け負いかねるよ、私がどうなろうと私の自由だろう」と頭に来るような気がする。 ましてや、青島俊作は「今日と明日では自分どうしで意見が分かれ、熱しやすく醒めやすい」(さだまさし作「恋愛症候群」より抜粋)AB型だ。変わらないでなどいられるはずがない。 にもかかわらず、室井は不変の青島を望む。強く強く。 青島が気の毒に思えてきた。 だが、そこでふとまた考える。 室井さんはそうだけど、それって彼だけのことなのか? 青島くんはどうなんだ。同じことを室井さんに要求してはいないか? 青島にも望みがあった。室井と同等かもしくはそれ以上のエゴイスティックさで。 しかし、中身は違う。 青島は室井に変わることを許している。むしろ変われと命令しているほどに。 ただし、それはどんな風にでも良いというわけではない。 青島は室井に極端に言えば「俺色に染まれ」と要求しているのだ。 「どんなに変わっても良いけれど、あくまで俺(青島)の都合の良いように変わってくれ」と、言葉でも態度でも示している。 そう、青島俊作ははっきり表に出しているのだ。自分の望みを。 そしてそれに従わなければ貴方を嫌いになるぞとも。 具体的に「嫌いになる」と台詞で言ったわけではないが、秋SPラストから映画前半にかけての彼の態度は、あきらかに「嫌いだ」と物語っていた。 「ちゃんと俺の言うこと聞かない室井さんなんて、許さないぞ。このまま謝る気も、悔い改める気もないなら、本当にあんたを嫌いになるぞ」と目が言っていた。 青島、それは脅迫だ。 お前は鈍いから気が付いていないかもしれないが、室井さんは君のことが、そりゃもうハンパじゃないくらい好きなんだ。愛してるって言っても過言じゃないくらい。 それなのにそんな風に詰め寄られたんじゃ、自分に否がないと思っていても謝らないわけにはいかないじゃないか。 そう考えると青島の方が室井よりも自分勝手が過ぎると言える。 室井の望みは心の内でのみのことで、もしも青島が変わってもそれを止めることなどしようと思わないし出来もしない。 けれども青島の望みは、望みで終わらず強要さえしているのだから。 非道い。酷すぎるぞ、青島。 室井さんが可哀想だ。 と思って三度、考える。 待てよ、でも、室井を嫌いになるのもまた青島の自由じゃないかと。 「好きだ」と思いを寄せられているからといって、同じ比重で思いを返さなければならない義務はない。 自分にとって都合の悪い人物を嫌ってしまうのは、いわば自然の摂理というものだ。 自分が気持ちのいい状態を妨げる者でも「好きだ」と言える人はほとんどいないだろう。いたとしても数えるほどか、もしくは人目を意識した偽善者かのどちらかだ。 そして青島は、善意の押し売りはするけれど、偽善者ではない。 なら、いやったらしい官僚に見える室井を嫌っても罪ではない。 青島に嫌われて傷つくのは室井の勝手で、青島の関知するところではないのだ。 つまり二人は法の下の自由意志に基づいて、変わらないことと変わることを望み、愛することと歯牙にもかけぬことを選んだのだ。 どちらも悪ではないし自分勝手でもない。 要するに恋愛のパワーゲームの勝者と敗者だというだけだ。 好きになった瞬間に室井の負けが決定しているのだ。 室井は青島を好きである以上、何をどうしたって青島には敵わない。 勝つ方法は二つしかない。 一つは青島を自分に惚れさせること、それも今自分が青島を想っている以上の深さで。 もう一つは、青島を嫌うこと。こちらは深くてはいけない。憎しみには至らない程度のさりげなさで、好きではなくなるのだ。 どちらもとても難しい。 室井慎次という人の性格を考えると、100パーセント無理なような気がする。 だから室井は、今までもこれからも、青島俊作に翻弄され踊らされ続けなければならないのだ。半永久的に。いつか室井が、青島以外の誰かを青島以上に愛することが出来るその日まで。 なんて苦しくせつないのだろう。 なのに、室井の方が青島より幸せに思えるのは、やっぱり愛することは素晴らしいことだということなのだろうか。 答えの出ぬまま、幸薄い青島くんに「かわらないで」のエールを送ろう。
イベントの後というのは、エライ大変なことになる。 事務処理とかそんなことではなく、精神的に。 たぶんこんなこと、私だけなんだろう。他の人はそんなことないんだ、きっと。 私がいろんなことに過敏に反応しすぎなだけだ。 わかってる。わかっているんだけど……。
せっかくたくさん買って帰ってきた戦利品たちが、どうしてもなかなか表紙を開けない。怖いのだ。読むのが。 読めば面白いだろうことはわかっているのに。いや、面白いからこそ読むのが怖い。 回を追う毎にその傾向は強くなる。 今日なんか、一ページ読むたびにもんどりうってしまったほどだ。 それは、中に書かれていることが、ほとんど普段私が妄想していることだからだ。 私がただの読み専だったなら「わー、これツボー!」ってなもんで、喜んで読めただろう。 でも、曲がりなりにも私は物書きなのだ。 能力が及ばずお蔵入りにしていた妄想たちを、素晴らしい技術で再現されている現実を目の当たりにすると、自分の無能さと怠惰を突きつけられたような気分になって、いてもたってもいられない。 本来娯楽で存在するはずの本が、私にはその機能を発揮しないのだ。 でも、買わずにいられないし、結局は、時間はかかっても完読してしまうのだから、処置なしだ。 最近どうにも新作を書く意欲が希薄になってしまっているのは、この、つまらないことに過敏に反応し、無駄に哲学してしまう性癖のせいだと思う。 このままではダメだ。 本当に書けなくなる。 他人のことは気にしないのが一番なんだ。 人は人、自分は自分。どうしてそう割り切れないのか。 人にどう思われたっていいじゃないか。 自分が書きたいと思っていたネタを、誰かが先に形にしたからってどうだっていうんだ。 同じ人物について書こうとしているんだ、ネタのかぶりやシンクロニシティをいちいち気にしていたらきりがない。 わかっているんだ。わかっているけど……ああ……私は今、青島になりたい。人の目など気にせずやりたいことをやりたいように、自分の信ずるままに傍若無人に、そして、失敗しても三歩あるいたらきれいに忘れる青島に……。
今日はイベント前日なので、宣伝だ。
明日のイベント、コミックシティin大阪に狂騒局ももちろん参加する。 スペースは
6号館 Aゾーン
ウ29aだ。
今、滑り込みでここを読んでいる方に朗報。 お買いあげ時に売り子に合い言葉を言うと、一冊につき100円値引き。 (もちろん狂騒局だけだぞ) そこで気になる合い言葉は。
なめらかプリン
みなさまのお越しを心よりお待ちする。
追伸/狂騒局では図書券もご利用いただけます。
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