■夜の無言(しじま)■



「アルベルト。今日はとても面白いことがあったよ」
アールグレイの茶を啜りながら、セルバンテスはそう切り出した。
香りの強いこの茶をホットで嗜むのがこいつの趣味の一つだ。
私はこいつに勧められてから覚えたギョクロを味わいながら、その言葉に耳を傾ける。
不思議なことにこの男とは、妙に馬が合う。
この男に出会ってからの私は、退屈するということはほとんどなくなっていた。
私とこの男とは、明らかに正反対の資質を持っているというのにだ。
「何があったか聞いてみたくないかい?」
どうやらセルバンテスは、その「面白いこと」の顛末を話したくて仕方がないらしい。
ヤツの話は面白い。わざわざ「面白いこと」と言うくらいだ。その滑稽さは、おそらく普段の比ではないのだろう。
私は多いに興味をそそられた。
「判った。聞いてやろう。何があった? 話してみろ」
セルバンテスは、嬉しそうに破顔して言葉を紡ぎ始めた。
「君、今日のパーティに顔を出してくれたよね」
「あ? ああ。いささか暇だったのでな」
なんだ、そのことか。ただの気まぐれだ。それならさほど「面白いこと」でもあるまい。
「暇つぶし? ……そっか……だろうね」
がっかりするでもなく、腹を立てるでもなく、至極当然の体でそう言って、セルバンテスはカップを口元に運んだ。が、その縁に唇をつける寸前で、小さくクスリと笑った。
「……何故笑う?」
問うとヤツは、
「笑っていたかい? 私は」と、ハッとしたように目を見開き問い返す。
気付いていなかったのか?
こいつは時折……いや、しばしば、こんな風に笑う。それは私の何かを逆撫でる。
「面白くもないのなら笑──」
「──ちがうよ。ごめん。思い出し笑いさ」
「思い出し?」
「うん。だってさ……『面白いこと』があったのは、そのすぐ後なんだから」
私は今日のパーティで、ほんの一瞬、こいつと接触した。
魔が差したのだ。
私とこいつは盟友だが、それはあくまで、私の属する裏の世界──BF団内でのみのことだ。こいつには、私と違い表の顔がある。清廉潔白クリーンな企業の長という顔が。
その美しい白に紙魚(しみ)を付けるわけにはいかぬ。
たとえ盟友といえども、互いに踏み込んではならぬ不文律というものがあることは、私も、そしておそらくこいつも判っているはずだ。
だが、私はこいつと接触してしまった。
大勢の取り巻きに囲まれて、あの笑顔を見せていたからだ。
私を逆撫でるあの笑顔。
「失礼、社長。火を貸してくれますかな?」
私は出来得るかぎり自然を装ってこいつに近付いた。私は「社長」とは関わりのない他人、赤の他人だ。この企業に投資しているだけのスポンサー。
しかし、私が火をもらっていると、取り巻きたちは蜘蛛の子を散らすようにこいつから離れていった。
それが私の目的だった。
私は私の放つ威圧感を知っていた。
知っていて利用した。
それが美しい白に汚点を残す結果になろうとも。
失敗したのだ、私は。越えてはならぬラインを踏んでしまった。
私の勝手な苛立ちを拭うためだけに。
「……ねぇ、聞いてる? アルベルト」
少し大きな声で呼ばれ、私の意識は現実のこいつに引き戻された。
「いや……すまん。なんだったかな?」
「もう……せっかく大事なことを言ったのに」
「大事なこと?」
「そう。私にとって、だけれどね」
ヤツはそう思わせぶりなことを言う。そう言われれば訊き返さぬわけにはいかないではないか。まったく話術が巧い。そうか……だから「眩惑のセルバンテス」なのだったな、貴様は。
そう。今はヤツは「眩惑のセルバンテス」だ。「株式会社スカールの社長」ではない。そしてここには、今、私と貴様の二人だけ。誰も何も邪魔する者はいない。あの笑顔をさせる者も誰も。
「『大事なこと』とはなんだ? 言え。言いたいのだろう?」
そうだ。伝えたいから誘ったのだ貴様は。それを私は知っている。
ヤツは私の目を真っ向から見つめた。何かを探るように。
そして、にぃ、と笑った。嬉しそうに。あの笑顔ではない表情で。
「『嬉しかった』って言ったんだよ。だから何度もは言えない。もう二度と言わない」
それだけ告げるとヤツは、また茶を啜る。美味そうに。
私は何も言えなかった。
「ウレシカッタ」……。何故だ? 何がだ? そしてそれが「面白いこと」だったのか? 問いたいことがありすぎるのだ。
私は掌の中で冷めてゆくギョクロを飲むのも忘れ、ヤツを見つめた。
その視線に気付いたのかヤツは、茶を啜るのをやめ、同じく私を見つめ返した。それから、小首をかしげ、
「ナニ? どうしたの?」と問う。
「……続きは? その先を話せ」
「『二度と言わない』って言わなかったっけ?」
「違う。それはいい。話の続きだ。『面白いこと』があったのだろうが」
ヤツが「二度言わない」と言えば、本当にもう唇に乗ることはないだろう。
こいつが、私以上に頑固者であることは、こいつより私の方が良く知っている。
だから質問を変えたのだ。二度と言わなくとも良いように。



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