観終わったばかりで、何やらやたら滾っているので、ここで書くのは御法度と知りつつ書く。 そう、今回は青×室ではない。 でも、ギバ繋がりなので許されたい。 「青×室でないなら用はない」と思し召しの方、極めて「踊る」チック室井ラブモードで「明日があるさ」をご覧になっている方、ここで引き替えされることをオススメする。 自分で言うのも何だが、ここから先は、罵詈雑言の連続、腹が立つこと請け合いの文章の羅列だから。
私は「明日があるさ」を毎週欠かさずビデオに録っていた。もちろんリアルタイムで視聴もしている。 第一話は正直、海の物とも山の物ともつかない展開で、些か先行きが不安な感は否めなかったが、それでもCMからのドラマ化と吉本芸人総出演というふれ込みに期待もあり(いや、何よりも、柳葉敏郎のレギュラーということが大きいが)、せめて三回までは我慢して観てみようと思った。 そうしたら、嬉しいことに、このドラマは二話にして大化けしてくれた。 第二話は、一話と比較にならないほど面白くなっている。 三話、四話と、回を追う毎に、キャラクターも粉れてゆき、テンポも良くなり、コメディとしては文句なしで及第点を出せる作品になっていた。 私は毎週土曜日がとても楽しみになった。 なのに。 先週の第十話がいけない。 アレは一体何だったのだろう。 もしも、大枚をはたいて観に行った映画だったら「金返せ」と言いたくなるくらい不出来な代物だった。 多くの(もしかしたら少数の)「踊る」から流れた「明日があるさ」ファンは、十話のような、浜田とスキンシップの多い望月を強く望んでいたのかもしれないが、あの展開は私には時期尚早に思えてならない。 九話までの望月の態度から考えると、あの程度の事件では、浜田に友情を感じたりはしないと思うのだ。 やおい的な視点から見れば、望月が浜田に何らかの特別な感情を抱いているだろうことは憶測してしまうが、それでも、たがだか押さえつけの厳しい上司が出現した程度のことでは、望月のようなひねくれ者はおいそれとは心の内を覗かせたりはしないものだ。それも、最も弱みを見せたくない浜田に、まかりまちがっても優しげな台詞など吐こうはずもない。 にもかかわらず彼は、 「お前も生き残れ」と、どう考えてもいい人な発言をしてしまった。 おかしい。こんなの望月じゃない。 あの回の望月は、最初から最後まで室井さんだった。 少なくとも私の目には室井慎次にしか見えなかった。 昨日までトアールコーポレーション物産部営業第一課望月課長と思っていた人が、一夜明けて会社が倒産の危機に瀕した瞬間、憑依されたかのように室井慎次になっていた。 気持ち悪かった。 望月の行動が全く読めない。 いつもならこうするだろうと思うことをことごとく裏切られる。 知らない人が目の前にいる感じだ。 もっとも、取り憑いているのは他ならぬ室井慎次なのだから、ぜんぜん知らない人ではないのだが。 一話、二話の頃は、確かに私も、「最終回では浜田と望月が二人で暴走してランデブーね」などとやおいな妄想を巡らせてもいた。 しかし、毎回観ていればそれは有り得ないことが判ってくる。 そういう期待を抱いて観始めはしたが、これは「踊る大捜査線」ではなく「明日があるさ」という全く別のドラマなのだ。同じ展開になることの方がおかしいのだ。 というよりも、同じ展開ならそれはパクリだ。 これだけドラマが氾濫して飽和状態になっている現状で、パクるなということには無理はあるが、フィクションは常に新しい物を模索していく必要はあると思う。 柳の下にドジョウが三匹も四匹もいてはいけないのだ。 「踊る大捜査線」な「明日があるさ」を作ろうとして第十話を描いたのなら、視聴者をなめているとしか思えない。 焼き直しといえどもそこにその作品なりのオリジナリティを感じさせられない物など、質の悪いバッタ物でしかないのだ。 しかも、始めから「これは『踊る大捜査線』のパクリですよ。浜田は青島で望月は室井だと思って下さいね」と大々的に打ち出してそのこと自体を楽しむギャグだったならまだしも、毎回毎回、望月にどんな卑怯で姑息なことをさせて室井との差別化を図ろうか見え見えなことをしておいて、突然、寝耳に水で室井化してしまうとはどういう了見なのか。 誤解されては困るので断っておくが、私は望月と浜田が仲良くなることに反対なわけではない。 望月と室井を同一視されることがイヤなのだ。 それも説得力の全く感じられない展開、せっかく九話まで積み重ねてきたキャラクターの性格や成長を無視した話の進め方で、瞬間的なおいしさだけを得るために室井化されることに不快感を覚えるのだ。 たかがドラマでここまで考えるのは神経過敏がすぎるかもしれない。 「面白ければなんだって良いじゃないか」とは私も思う。 だが、面白いとさえ感じられなかったのだから仕方がない。 「面白くなきゃ観なければいいだろう」とも思う。 しかし、先週までは面白かったのだ。期待してしまうじゃないか。 そして十話をこれほどまでにこき下ろしてしまう最大の理由は、最終回はハンパじゃなく面白かったからなのだ。 私は先週の第十話を観たときに、つまらなかったのは、コメディではなかったからかと思っていた。しかし、今週の最終回を観て、笑うか笑わないかは作品の質とは関係ないことが判った。 最終回は松っちゃんの登場シーンも含めて、笑うところは特になかった。 でも、物語としては最高の出来だったし、連続ドラマの最終話としての結びも絶品だった。 不覚にも「私たちは営業第十三課です」の台詞に涙してしまったほどだ。 しかし、その涙が号泣に至らなかったのは(号泣は些か言い過ぎだが)、十話の存在のせいだと思っている。 コメディでないことは些細な問題だが、シリアスが二話続くのは重たすぎるのだ。 どんなドラマでも「焦らし」というのが感動をもたらすものだ。 ずーっとコメディ路線でおしてきたなら、シリアスは最終回までとっておくべきだったのだ。 先週すでに重たい話を観ているものだから、今週もシリアスだと、いくら先週より薄味でも、胸にもたれてしまう。 それに、先週がもう最終回みたいな展開で、望月も改心してしまっているから、今週、先週よりもショッキングで厳しいバッシングを望月が受けても、「またか」と思ってありがたみがない。 実は私は、最終回での扱いこそが、望月改心に至るには最高の舞台であると考えている。先週のでは甘すぎるのだ。 となれば、第十話の突然の改心はますますもって説得力がない。 (十話の)低血糖を起こして倒れるシーンも無駄だったとしか思えない。 めまいを起こすくらいはあってもいい。しかし、病院に担ぎ込まれたり、ましてや病名を明かしたりするのは最終回まで待てよ。 この作品のスタッフは全員いらちなのか? あ、関西系のドラマだった、仕方ないか、いらちでも。 いやいや、そんなことは免罪符にはならないぞ。 公共の電波を使った商業作品なんだからな。 それと同様に、望月の改心(あるいは室井化)も、最終回までたーーーーっぷり焦らして欲しかった。 焦らされれば焦らされるほど妄想も膨らみ、望みを得たときの悦びと感動もひとしおなのだから。 そしたら私もエンディングのスタッフロールが涙でかすんで読めなくなるくらいには泣いたかもしれない。 返す返すも惜しい、惜しくてならない。 しかし、この作品、聞くところによると数字はとても良いらしい。 もしかしたら続編やスペシャル、あるいは映画なんかが創られるかもしれない。 そのときにはどうか今回のような凡ミスは犯さないで欲しい。 こんなにクソミソにけなしてはいても、私はまだ「明日があるさ」が大好きなのだから。
青島、助けてくれ。大変なことになってしまった。 君の力が必要なんだ。 私にはどうすることも出来ない。 君でなければダメなんだ。 たのむ、青島。
室井慎次
しまった、ダイヤルアップがなくなってるからメールできない!!
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先日、うちのパソがいよいよダメな感じになって、ダイヤルアップネットワー クフォルダがきれいさっぱり消えてなくなってしまった。 しかも、今現在使っているOSのWin98は横流しディスクだったので、再 インストールするにも手元にはWin95しかない状態。 今更95になど戻したくない。焦った焦った。 幸い弟が98のCDを持っていたので事なきを得たのだけれど、もしもなけれ ばエライことになっていた。 だって今、買いに走ったって、店頭にはもう98は並んでいない。だからといっ て私のヘナチョコパソにMeはいっぱいいっぱいで無理。 カビョーン、パソコン新規購入か!? とパニックになってしまった。 正に「誰か助けてー」って感じ。 そのときの気持ちを室井さんに代弁してもらいました。 うちの室井さんは、とりあえずパソコンのソフト(仕事に必要な)は使えるけ れど、複雑なことはぜんぜん解っていないって設定なので、私同様パニクるこ とでしょう。 そして助けはやっぱり青島に……。 でも、こんなメール、マジで届いたら青島のヤツ夜中でもすっ飛んで来るよ。 良かったね青島。室井さん、メール送信できなくなってて。
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